ツェッペリン広場(Zeppelinfeld)
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「ナチ党党大会会場」の記事における「ツェッペリン広場(Zeppelinfeld)」の解説
ツェッペリン広場(Zeppelinfeld)は、「大通り」の東に位置する。幅360メートル(390ヤード)の大きな観客席 (Zeppelinhaupttribüne) と、小さな観客席とで構成されている。ナチス党のためのアルベルト・シュペーアの作品の一つであり、ペルガモンの大祭壇を基にして設計された。正方形の支柱は、フランス系アメリカ人の建築家ポール・フィリップ・クレット(Paul Philippe Cret)の作品の影響を受けている。観客席は、ドイツ国が第二次世界大戦で敗北した後の1945年に、ハーケンクロイツが爆破された建物として知られる。"Zeppelinfeld"ないしは"Zeppelinwiese"という名称は、1909年8月に、フェルディナント・フォン・ツェッペリンが彼の飛行船(LZ6)の一つでこの地に着陸したことに由来する。 1947年から1995年まで、DoDDS(国防総省士官学校)の施設であるニュルンベルクアメリカ高校(Nurnberg American High School)は、高校サッカーとアメリカンフットボールの練習に兵士広場(Soldiers Field と呼ばれる)を使用した。1967年に、市当局により観客席の二列の列柱は爆破され、残存する建築物に深刻な損害を与えた。観客席の残りの部分は無傷で、ノリスリンクモーターレーシングトラックの中心として利用される。1980年代には、ヘヴィメタルのロック・フェスティバルであるモンスターズ・オブ・ロックが2回開催され、2004年からは大規模ロック・フェスティバルのロック・イム・パルクの会場ともなっている。また、アメリカンフットボールチームのニュルンベルク・ラムズ(Nürnberg Rams)によっても使用されている。敷地の別の部分にはキャンプ場がある。長年放置されていたことや、建築の質の悪さにより、侵食と湿気による損傷は深刻化していた。2019年には、8,500万ユーロを掛けて観客席の残存する部分を保存し、訪問者が近付けるようにする計画が発表された。完工目標は2025年である。 ツェッペリン広場(1938年頃) ツェッペリン広場、メインの演壇(2004年12月) 1935年党大会の風景。大観客席はまだ完成していなかったため、演壇の後ろに木製の鷲の像が仮設されている ツェッペリン広場(2004年12月) メディアを再生する 1945年、敗戦後にハーケンクロイツが爆破された際の映像 1936年の党大会における演出、「光の大聖堂(Lichtdom)」 1937年の党大会、国家労働奉仕団の召集 1938年 ツェッペリン広場の空撮(2021年) 大観客席のパノラマ(2018年) 大観客席の残存部分(2009年)
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