ツェッペリン広場での各地の政治指導者の点呼
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「意志の勝利」の記事における「ツェッペリン広場での各地の政治指導者の点呼」の解説
ドイツ各地の政治指導者たちが隊列を組んで、党旗を掲げながら、日の暮れたツェッペリン広場に参集してくる。曲は Kürriasier Marsch (胸甲騎兵行進曲)。 ライトアップされた演壇でヒトラーが演説する。 1年前、我々はこの場で、初めて出会った。初めての国家社会主義の政党の政治指導者の総点呼であり、その時に20万人が集合した。諸君は気持ちがおもむくままに集まったのではなく、忠誠心にうながされるままに呼び寄せられたのでもない。諸君を呼び寄せたのは、我らが民族の大いなる苦難だったのだ。かつて我々に降りかかり、我々を団結させた苦難であり、闘争の間、我らをさいなみ増していった苦難である。だから、すべての者が分かることはない。自分たちの民族が同じ苦難を味わった者でなければ分からない。彼らには謎であり、神秘なのだ。いったい何が数十万人を集め、何が欠乏や苦しみ、不自由を耐えさせるのか。彼らは、それが国家の命令によると考え、それ以外は思いつかない。彼らは思い違いをしている。国家が我々に命令したのではない。我々が国家に命令したのである。国家が我々を動かしたのではない。我々が国家を動かしたのだ。否、運動である。運動が生きているのだ。それは確かな根拠に基づく運動である。我々の中のただ一人でも息ができる限り、その者はこの運動に自分の力を貸すだろう。そして運動を支持するだろう。我々が過去数年間、そうしてきたように。そして太鼓の後に太鼓が来る、旗の後に旗が続く、さらに集団と集団が合流し、大管区と大管区が合併し、ついには、かつて引き裂かれていた民族が、一つになった国民の長大な列の後ろに続くであろう。もしも我々が、戦い獲り勝ち得たものを、将来減らしてしまったら、それは冒涜である。なぜなら、多大な労働と不安と犠牲と苦難を伴わなければ、それを獲得できなかったからだ。人は、自分の全人生に内容や意味や目的を与えてくれたものを裏切ることはできない。そういうものを無から創り出すには、強い命令が根拠になっていなくてはならない。我々にその命令を下すのは、この世の上官ではない。我々の民族を創造した神が、命令を下すのである。だから今夜、我々は誓いを立てよう。毎時間、毎日、ただドイツのこと、民族と国家のこと、そして我らがドイツ国民のことだけを思うという誓いを。我らがドイツ国民に、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。 集会の参加者たちが、たいまつを掲げて行進する。曲は Die Große Zapfenstreich 「大帰営譜」。
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