ツインタワーの覇権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:42 UTC 版)
「1998-1999シーズンのNBA」の記事における「ツインタワーの覇権」の解説
サンアントニオ・スパーズはABA時代からプレーオフ進出を逃したのは5回のみという、リーグきっての強豪チームだったが、しかしそのスパーズをもってしても、優勝までは困難な道のりだった。 ジョージ・ガービン以後、絶対的なエースに恵まれなかったスパーズは1980年代後半から4シーズン連続で勝率5割を下回ったが、1987年のNBAドラフトでデビッド・ロビンソンを指名し、スパーズは以後10年に渡ってチームの柱となる選手を手に入れた。ロビンソンがチームに合流した1989年には56勝を記録する大躍進を遂げ、以後90年代のウエストを代表する強豪チームとして過ごすことになる。ロビンソンもまたリーグを代表するセンターとして名声を高めるが、しかしロビンソンはプレーオフに入るとスケールダウンしてしまうという一面があり、周囲からは度々「リーダーシップに欠ける」と指摘された。1994-95シーズンにスパーズは62勝を記録し、ロビンソンはMVPを獲得しているが、このシーズンのプレーオフではヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワンの前に完敗している。翌シーズンも59勝の好成績を残すが、プレーオフではやはり勝ち残れず、スパーズの悲願は達成されなかった。 そんなスパーズの転換期となったのが、翌1996-97シーズンのことである。このシーズン、ロビンソンはシーズンの大半を欠場し、スパーズは大きく負け越した。しかしこれが不幸中の幸いとなり、スパーズは1998年のNBAドラフトの1位指名権を獲得。このシーズンからスパーズを指揮するグレッグ・ポポヴィッチHCは、迷わずこの指名権をティム・ダンカンに行使した。ロビンソンを指名してから約10年後に、スパーズは再び今後10年チームの柱となる選手を手に入れたのである。216cmのロビンソンと211cmのダンカンのインサイドコンビは他チームの脅威となり、"ツインタワー"として注目を集めた。 スパーズはツインタワーに加え、長らくロビンソンの相棒を務めてきたショーン・エリオットに、ポイントガードのエイブリー・ジョンソンと充実した顔ぶれで1997-98シーズンを迎え、56勝の好成績を記録して強豪復活を遂げた。33歳となったロビンソンはチームの主役の座をダンカンに譲り、自らは積極的にダンカンのサポート役に徹するようになった。そしてこのシーズン、ロビンソンの成績は大きく後退したが、チームはダンカンを中心に機能し、前季の勝率を上回る37勝13敗を記録し、リーグトップとなった。 プレーオフに入ってスパーズの前に立ちはだかったのは、かつてスパーズと共にウエストの覇を競い合ったロケッツやユタ・ジャズ、フェニックス・サンズなどではなく、ミネソタ・ティンバーウルブズやロサンゼルス・レイカーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズら近年力を付けてきた新興チームだった。年季が違うスパーズは若いチームを蹴散らし、11勝1敗という圧倒的な強さでチーム史上初となるファイナル進出を果たした。 一方シカゴ・ブルズという絶対的な覇者を失ったイーストのプレーオフは混乱した。1回戦は4ブロックのうち2ブロックでアップセットが起こり、そしてファイナルに勝ち進んだのは第8シードのチーム、ニューヨーク・ニックスだった。 ニックスと言えばパトリック・ユーイングのチームであり、そして90年代を代表する強豪チームだったが、彼らの行く手には常にマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが立ちはだかり、ジョーダンが1度目の引退をしていた1993-94シーズンにはようやくファイナルに進出するも、オラジュワン率いるロケッツの前に優勝は叶わなかった。90年代後半に入ると30歳を越えたユーイングは多くの故障を抱えるようになり、チームはアラン・ヒューストンやラリー・ジョンソン、ラトレル・スプリーウェル、カート・トーマスを獲得するなどチームの若返りを図り始めていた。ニックスのファイナル進出は、そんなニックスのチーム改革の成果と言えたが、本命不在というイースト事情と、50試合に短縮された異例のシーズンの副産物でもあった。 このシーズンのユーイングは故障を抱えたままのプレイが続き、チームも27勝23敗と決して好調とは言えず、プレーオフは第8シードでのスタートとなった。そして1回戦でかつてニックスを率いたパット・ライリーが指揮するマイアミ・ヒートと対決し、ヒートのティム・ハーダウェイが故障を抱え満足なプレイが出来なかったことも手伝って、ニックスは3勝2敗の末に第1シードのヒートを破るというアップセットを果たした。さらにカンファレンス準決勝ではアトランタ・ホークスをスイープで破り、カンファレンス決勝ではニックスの宿敵インディアナ・ペイサーズと対決。このシリーズ中に故障を押してプレイし続けてきたユーイングが遂に戦線離脱するも、ニックスは4勝1敗でペイサーズを退け、ついにファイナル進出を果たした。第8シードのファイナル進出はNBA史上初の出来事である。 スパーズ対ニックスは90年代屈指の強豪チーム同士の対決であり、ロビンソンとユーイングは共に80年代にNBA入りを果たした90年代を代表するセンターだが、しかしその内容はリーグ全体を覆う世代交代の波に大きく影響を受けたものとなり、両チームとも主役の座は若い選手たちに譲っていた。一方で両チームの戦力バランスは対照的で、ダンカンとロビンソンのインサイドコンビが主力のスパーズに対し、ニックスはスプリーウェルとヒューストンのバックコートコンビが主力だった。もっともニックスの場合はユーイング不在という緊急事態を前に2人に頼るしか道はなかった。2人を中心にしたニックスは走るチームとしてスパーズに対抗し、またユーイングの穴をマーカス・キャンビーとカート・トーマスら若手ビッグマンが埋めたが、"ツインタワー"擁するスパーズがシリーズを優位に進めた。
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