ツインタワーの君臨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:17 UTC 版)
「サンアントニオ・スパーズ」の記事における「ツインタワーの君臨」の解説
1997年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得した。 1997-98シーズン 、大学時代はセンターだったダンカンはパワーフォワードとして、ロビンソンとともに「ツインタワー」を形成した。ダンカンは1試合平均21.1得点、11.9リバウンドを記録して、新人ながらオールNBAファーストチームにも選ばれて新人王を獲得した。 1998-99シーズン は、開幕前に経験豊富なベテランのマリオ・エリーとジェローム・カーシーを獲得し、ロックアウトで短縮されたシーズンをリーグ首位タイの37勝13敗で締め、プレーオフではウェスタンカンファレンスを11勝1敗の新記録で制覇して、NBAファイナルに初めて出場しニューヨーク・ニックス(イースタンカンファレンス第8シード)を4勝1敗で破り優勝した。ファイナルのMVPはダンカンが獲得した。スパーズはABAから参加したチームの中で最初のNBAファイナルを制覇したチームとなった。(ファイナル出場も初であった。) 1999-2000シーズン は、主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。また、前シーズンが通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、連覇の期待が掛かったが、ダンカンがレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休という緊急事態に陥ったチャンピオンチーム、スパーズは、1回戦でフェニックス・サンズと対決。サンズもまたジェイソン・キッド不在という不幸に見舞われていたが、サンズはかつての先発ポイントガード、ケビン・ジョンソンに現役復帰を依頼し、ジョンソンはこれを受諾。サンズは3勝1敗で上位シードのスパーズを破るというアップセットを果たした。チャンピオンチームがファイナル連覇を果たせなかったのは、1986-87シーズン以来のことであった。 2000-01シーズン は、58勝24敗を記録しプレーオフでは、ミネソタ・ティンバーウルブズ、ダラス・マーベリックスをそれぞれ1敗しただけで退け、カンファレンスファイナルに進んだが、このシーズンNBAチャンピオンとなったフィル・ジャクソン率いるロサンゼルス・レイカーズに、コービー・ブライアント、シャキール・オニールの活躍で、4連敗スイープで敗れた。 2001-02シーズン は、トニー・パーカーが入団し、ポイントガードのスターターに定着し、オールルーキーファーストチームに選ばれる活躍を見せ、デビッド・ロビンソンが衰えを見せ始めたものの、ダンカンとのツイン・タワーは健在で、昨年同様58勝24敗を記録しディビジョン首位となった。プレーオフは、1回戦のスーパーソニックス戦で、第4戦をダンカンが身内の不幸で欠場したこともあり、ウエスタン1回戦では唯一第5戦まで縺れ、接戦の末、勝利したが、カンファレンス準決勝は、前季カンファレンス決勝の同カードとなったレイカーズとの対戦となり、故障でロビンソンを欠いたこともあり、昨シーズンに続きレイカーズに屈して、カンファレンス決勝に駒を進めることはできなかった。
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