ダニ媒介性感染症研究の進展
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「土佐のほっぱん」の記事における「ダニ媒介性感染症研究の進展」の解説
佐々による「土佐のほっぱん」解明に先立つ1948年(昭和23年)10月から11月にかけ、静岡県側の富士山麓で演習を行っていたアメリカ兵27名に、発疹を伴う原因不明の高熱が発症した。死者こそ出さなかったものの、米軍406医学研究所と千葉医科大学の調査により、タテツツガムシを媒介者とするツツガムシ病と判明した。従来の流行地(秋田・山形・新潟)でなく、また媒介者もアカツツガムシではない別種のツツガムシが原因であったことから、日本の研究者たちは大きな衝撃を受けたが、感染者は全員アメリカ兵で感染場所も一般人が入らない演習場内であり、適切な治療により死者を出すことなく全員が治癒していた。 そこへ「土佐のほっぱん」「馬宿病」という新たなツツガムシ病が発見されたのである。数年前に発見されたテトラサイクリン系の抗生物質の内服による治療が始まった頃で、早期発見、確定診断さえつけば治癒が可能になったとはいえ、近年までこれら四国型ツツガムシ病は複数の死者を出しており、しかも死亡率が高いことが分かったのである。 研究者や医療関係者は、日本各地に生息する様々な種類のツツガムシの研究を積極的に行うようになり、伊豆諸島の七島熱、房総半島南部や静岡県藤枝市周辺の二十日熱など、死亡率こそ低いものの、これまで原因不明の熱病とされてきた複数の風土病がツツガムシ病であることが判明し、日本の広範囲に複数種のツツガムシが生息していることが分かった。感染頻度は少ないものの、もはやツツガムシ病は秋田・山形・新潟3県の特定地域で見られるものではなく、日本のどこででも感染する可能性のある感染症との認識が一般化した。 こうして従来の秋田・山形・新潟のアカツツガムシを媒介とするツツガムシ病と、1950年(昭和25年)前後より日本各地で確認され始めたツツガムシ病はそれぞれ、 古典型ツツガムシ病 アカツツガムシの媒介により、主に夏季に発症する死亡率の高いツツガムシ病(秋田・山形・新潟) 新型ツツガムシ病 それ以外のツツガムシの媒介により、主に秋から冬に発症するツツガムシ病(日本全国) このように区別されるようになった。 その後の研究によって、各種ツツガムシにより媒介されるリケッチアの血清型(病原体を摂取して得られる免疫血清の違い)の分類が進められ、死亡率が高い低いの差は血清型に由来していることが判明するなど、1950年代から60年代にかけて日本のツツガムシ、リケッチア研究は大きく進展し、1984年(昭和59年)には徳島県の開業医である馬原文彦により、マダニ類が媒介するRickettsia japonicaというリケッチアによって感染する日本紅斑熱が発見された。またリケッチア以外のダニによる感染症としては、2012年(平成24年)の秋に日本国内で初事例となる重症熱性血小板減少症候群(ダニ媒介性ウイルス疾患の一種)による死者が山口県で発生するなど、ダニによる新たな感染症の報告が続いている。
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