タンディ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 11:24 UTC 版)
詳細は「タンディ・コーポレーション」を参照 1962年、ラジオシャックは元々は皮革製品を扱っていたタンディ・コーポレーションに買収され、タンディ・ラジオシャックと改称した。タンディはその後エレクトロニクス関連以外の部門を処分した。 1970年代から、タンディは子会社の InterTAN を通してイギリスで Tandy の名でラジオシャック型のチェーン店を展開。1999年、Carphone Warehouse がそれら店舗を買い取り、一部店舗は売却し、残りは自社店舗に改装した。 1973年にはオーストラリアにも進出。2001年、ウールワースがタンディのオーストラリア事業を買い取り、Dick Smith Electronics に吸収合併した。 1960年代から1980年代にかけて、ラジオシャックは月に1個の電池を無料で入手できるという "battery club" カードを販売していた。1990年代初めに全社的な刷新があり、廃止された。 ラジオシャックは、コモドールやAppleと共にパーソナルコンピュータ革命を起こした企業である。TRS-80(1977年)、TRS-80 Color Computer(英語版)(1980年)といったホームコンピュータを製造販売した。さらにタンディはPC/AT互換機市場にも参入した。タンディのPC互換機は安価だがサウンド機能とグラフィック機能が優れていた。しかし、それもVGA規格とサウンドブラスターが業界標準となるまでで、1990年代初めにはタンディの互換機は対抗できなくなって自社ブランドの販売をやめた。 1970年、タンディはラジオの製造と小売チェーン店を運営する Allied Radio を買収し、小売部門を Allied Radio Shack というブランドにした。しかし連邦政府はこれを問題視し、Allied の小売チェーンを売却することになった。製造部門 (Allied Electronics) はタンディに残存し、1990年代に売却された。 ラジオシャックのもうひとつの大ヒットとして、Family Radio Service 製品がある。通信範囲の狭い携帯無線システムである(日本の法で言う特定小電力無線に相当)。1990年代中ごろから、携帯電話関連のコンポーネントに注力するようになった。 1993年、食品業界出身のレン・ロバーツがラジオシャック社長に就任した。1994年、45種類以上のブランドの電化製品の保証外の修理を安価に行うサービスを開始。そのためにアメリカ各地に部品を備蓄し、119箇所に修理センターを設けている。これは顧客との関係を構築し、店に人を呼び込むための戦略であり、ロバーツは1999年までに修理事業で年間5億ドルの売り上げになると予測した。2009年5月時点でもこのサービスは継続している。また、カナダでも同様のサービスを展開している。 1995年初夏、新たなロゴを導入した。
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