タブロイド紙による「ソ連の秘密エージェント」という名指し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 20:46 UTC 版)
「ヤン・ギィユー」の記事における「タブロイド紙による「ソ連の秘密エージェント」という名指し」の解説
1967年からの5年間ヤン・ギィユーは数度KGBの現地工作員と会った。2009年10月にスウェーデンのタブロイド紙『エクスプレッセン』は、「ギィユーはソ連の秘密エージェント」という表題でこの件を報じた。スウェーデンの公安警察のサポ(Säpo)は当時違法活動を行っているという容疑のかかっていたギィユーの同僚アルネ・レンベリ(Arne Lemberg)からこの会談のことを聞いて知っていた。 ヤン・ギィユーによると彼の意図は、自分がさらされている活動に基づいてKGBのスパイ活動をジャーナリスティックに暴くというものであり、ギィユーはKGB連絡員のJevgenij Gergelと連絡を取った。後に記事を書いたジャーネリストの一人はギィユーの説明を信じて、「彼の説明の一語一句に疑問は無かった。」と述べた。 ギィユーはスウェーデンの政策についてのレポートを作成しKGBから報酬を受け取っており、『エクスプレッセン』紙がギィユーのことを秘密エージェントという言葉で名指しした時にはこの事実を指摘していた。元KGBの大佐で亡命したセルゲイ・トレチャコフ(Sergej Tretjakov)は、ギィユーのことを「古典的エージェント」とみなしていた。「何故ならば彼は金を受け取り、最悪なことに領収証にサインまでしていた。これについては疑問の余地はない。彼をどのように操作したかはモスクワのKGB学校でテキストの用例になっているだろうよ。」と述べた。検事のトマス・リンドストランド(Tomas Lindstrand)は「エージェントとスパイは同義の概念ではない・・・エージェントはスパイ活動に関与する必要は無い。エージェントは訴追されるようなことに関わることなく使い手のために役割を果たすことができる。」とスウェーデン報道諮問委員会(The Swedish Press Council、PON)に書簡を送った。 当時、公安警察はレンベリの報告書に対し懐疑的であり、新聞記者が公開されている情報を基に記事を書いてそれをJevgenij Gergelに渡しても違法なことは何もないと述べた。時効により現在新たな起訴事由での訴追はできない。 スウェーデン・プレスの公的オンブズマンのイルサ・ステニウス(Yrsa Stenius)は後に『エクスプレッセン』紙が行った事実の表現手法は無責任ジャーナリズムの一例であると結論付けた。彼女によると『エクスプレッセン』紙は、これがギィユーの名声に「重大な」ダメージを与えるにも関わらず何の解説もなく一面に「ヤン・ギィユー。ソ連の秘密エージェント(だった)」と決めつけた。ステニウスの出した結論は議論を呼び起こし、数多くの新聞の論説委員が彼女の辞職を求めた。 2010年6月1日にスウェーデン報道諮問委員会(The Swedish Press Council、PON)は『エクスプレッセン』紙の誤報道に対して処分無しと裁定した。『エクスプレッセン』紙はギィユーが「スパイ」罪で有罪であると主張したことを否定し、PONもこれに同意した。紙面の第一面と見出しの主張(「ギィユー、ソ連の秘密エージェント」、「KGBの任務を告白」、「スパイの元締めにより勧誘」)は、PONによると「厳密に定義された意味ではない」と判断された。PONは、事実関係の詳細がこの出来事に関するギィユー自身の談話を含めて完全に記事の中に網羅されていることについても納得していた。
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