タザリア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 06:37 UTC 版)
バルダ大陸の中央部、暴君(テュランノス)山脈の西側にある、この物語の主な舞台となる国。首都はチョザ。聖階暦1898年にアルマンザ・タザリアによって建国された。建国以前のタザリア家は一貴族にすぎなかったが、他の貴族を出し抜いて以前の王家を退けた。以来タザリア家は他貴族にとって疎ましいものとなったが、建国から長らくタザリア王家の勢力は強大で、その頃はまだ全体をとりまとめる組織を持たなかった貴族が個別に立ち向かうことはできなかった。タザリア王家は紋章が黒い炎でありそれ故に黒き炎の一族と呼ばれる。その由来は王家の至宝である3つの魔道具の1つ、ニグレットフランマ(黒き炎)である。タザリア王国には王宮を守る近衛隊と軍を指揮する騎士団があり、騎士団は炎帝騎士団と呼ばれている。騎士は真紅の、近衛隊員は暗緑色の外衣(マント)を身につけているのが特徴であるが、ごくまれに着ていない者もいる。騎士と近衛隊員はあまり仲がよくない。幾度となく戦争が繰り返されるバルダ大陸において、クレイトス・タザリア 3世の治世の頃、タザリア王国は比較的平穏だったが全く戦争がないわけではなかった。タザリアと他国の対立の詳細は年表を参照。 チョザ タザリア王国の首都。タザリア随一の都市である。アンバー湖の北に位置し、市街の南部の湖畔には王宮がある。 エスターク タザリア王国の中部、テュランノス山脈の麓にある小都市。ジグリットの故郷。街の東側の高台にはサンダウ寺院という教会があり、町の中心部を南北に走る絞首大通り(ガロウズ・アベニュー)とサンダウ寺院の間にはほぼ商家と上流階級(アルコンテス)の館だけが立っている。逆に大通りの西側は、西広場の周辺が呑み屋街でさらに西は遊里や下層民の家が立ち並ぶ地域になっている。最も西側には街を囲む障壁に沿って貧民窟(スラム)がある。これら西側一帯は、聖階暦2018年にリネアの企みによりアウラが貧民窟に放火したためにほとんど焼失した。 王宮 タザリア王国の王宮。首都チョザの南、アンバー湖の北岸にある。南側のアイギオン城、西のソレシ城、東のマウー城とその他厩舎や礼拝堂などからなる。アイギオン城は王の居城であり、謁見室、会議室、大広間などもある。ソレシ城は皇子皇女の、マウー城は王妃の住まいであり、宝物庫もマウー城にある。王宮にふさわしい壮麗な建物ばかりで、アイギオン城の入り口には巨大な白磁の扉があり、壁は土と石灰で白く塗られ、広い玄関広間には御影石のタイルが敷き詰められている。 ジリス砦 タザリア王国中部、ゲルシュタイン帝国との国境付近にある砦。それほど大きくない砦だが、ゲルシュタインだけでなくナフタバンナやベトゥラにも備えることのできる位置にあり重要である。下働きの労働環境は非常に悪く、貧しい少年少女がこき使われている。 アンバー湖 タザリア王国中部にある湖。南北に長く、全長12リーグ(約57km)。湖畔には王宮をはじめとして貴族の館が立ち並び、その中でも"黄楼館"は特に美しいとされる。 ロンディ川 タザリア王国北部を流れる川。一部はナフタバンナ王国との国境になっており、川を挟んで両軍がにらみ合ったり戦場となることもある。
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