タイフォンの挑戦と挫折とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > タイフォンの挑戦と挫折の意味・解説 

タイフォンの挑戦と挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:21 UTC 版)

イージスシステム」の記事における「タイフォンの挑戦と挫折」の解説

アメリカ海軍は、第二次世界大戦末期より、全く新し艦隊防空火力として艦対空ミサイルSAM)の開発着手していた。1944年4月開発要請応じジョンズ・ホプキンズ大学応用物理学研究所(JHU/APL)が同年12月提出した案に基づいて開始されたのがバンブルビー計画であった。まもなく日本軍開始した特別攻撃特攻)の脅威受けて開発加速、また戦後ジェット機発達に伴う経空脅威増大受けて更に拡大され1956年にはテリア1959年タロス、そして1962年ターター艦隊配備された。これらは3T通称され、タロスミサイル巡洋艦テリアはミサイルフリゲート(DLG)、そしてターターミサイル駆逐艦DDG)に搭載され広く配備された。 しかし、3Tファミリーのうち、もっとも早く開発進行したテリアミサイルがようやく就役しつつあった1950年代後半時点で、既にこれらのミサイル・システムには、設計による宿命的な限界内包されていることが指摘されていた。具体的には、 攻撃に際しては、同じ目標捜索レーダー射撃指揮装置重複して追尾することになる ミサイルの発射から命中まで、1つ目標に対して1基の射撃指揮装置占有されてしまう という問題指摘されていた。このために、同時に対処できる目標射撃指揮装置基数同数(2~4目標)に制約されていた上に、自動化の遅れから、即応性にも問題があった。一方ソビエト連邦においては、1950年代末より対艦ミサイル大量配備進んでおり、複数ミサイルによる同時攻撃受けた場合現有防空システムでは対処困難であると判断された。 このことから、JHU/APLでは、アメリカ海軍との協力のもとで、1958年より次世代防空システム開発着手した。これがタイフォン・システムである。 しかし要求性能の高さに対す技術水準低さ統合システム開発への経験不足のために開発極めて難航し最終的に技術的な問題解決できず、1964年キャンセルされた。ただし失敗終わったとはいえタイフォン計画から得られ研究成果多くが、のちにイージスシステム結実することになる。

※この「タイフォンの挑戦と挫折」の解説は、「イージスシステム」の解説の一部です。
「タイフォンの挑戦と挫折」を含む「イージスシステム」の記事については、「イージスシステム」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「タイフォンの挑戦と挫折」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「タイフォンの挑戦と挫折」の関連用語

タイフォンの挑戦と挫折のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



タイフォンの挑戦と挫折のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイージスシステム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS