タイファ・サラグスタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:14 UTC 版)
1031年に後ウマイヤ朝が内乱で崩壊すると、タイファ諸国の一つであるサラゴサ王国(1018年-1110年)が成立し、タイファ・サラグスタ(アラビア語: طائفة سرقسطة、Taifa Saraqusta)というアラビア語名で呼ばれた。トゥジービー朝(スペイン語版)(1018年-1039年)、フード朝(英語版)(1039年-1110年)。最盛期の王アル=ムタディル(スペイン語版、英語版)(在位:1046年-1081年)は、現在のアリカンテやタラゴナまで領土を広げた。11世紀後半には人口約25,000人を数え、西ヨーロッパ有数の都市となっていた。アルハフェリア宮殿が建てられたのはこの頃である。1110年にはタイファ・サラグスタはムラービト朝に征服され、総督の支配下で自治を謳歌した。
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