タイファ期とは? わかりやすく解説

タイファ期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:00 UTC 版)

ベルベル人」の記事における「タイファ期」の解説

11世紀12世紀のタイファ期には、イスラム化して以降熱心なムスリムイスラム教徒になっていたベルベル人は、モロッコイスラム改革思想奉じる宗教的情熱支えられベルベル人運動から発展した国家ムラービト朝1040年 - 1147年)、ムワッヒド朝1130年 - 1269年)を相次いで興したベルベル人が他民族支配した数少ない王朝であったムラービト朝ムワッヒド朝でも、王朝公用語ムスリムである以上アラビア語であり、ベルベル語ではなかった。 ベルベル人イベリア半島侵入しアンダルス入ったベルベル人樹立した征服王朝ナスル朝グラナダ王国1232年 - 1492年)の時代支配下人民多くロマンス語ベルベル語影響受けたアル・アンダルス=アラビア語用いていたとされるベルベル人当初支配者より一層アラブ化してアラビア語を話すようになり、下位の者は民衆同化してロマンス語を話すようになった。しかし年月がたち、改宗によってムスリム支配下南部イベリアにおけるムスリム全人口に占め割合増加するにつれ、アラビア語圧力はさらに高まりベルベル語話者ロマンス語話者多く民衆アラビア語同化ていった。時とともにベルベル人アラブ人イベリア人三者遺伝的文化的に入り混じっていき、現在のスペイン語にはアラビア語とともにベルベル語影響見られる。またベルベル人遺伝子スペイン人ポルトガル人遺伝子プール影響与えたムワッヒド朝アンダルスでのキリスト教徒との戦い敗れて衰退滅亡し、代わってモロッコ地域にはマリーン朝チュニジア地域にはハフス朝というベルベル人王朝興隆した。マリーン朝キリスト教徒侵入抵抗するグラナダ王国などのイスラーム勢力支援しイベリアキリスト教勢力激し戦い行ったが、アルジェリア地域ベルベル人王朝であるザイヤーン朝との戦いにより国力一時失い、それに乗じたカスティーリャ王国により1340年にはチュニス占領された。しかしスルタンであるアブー・アルハサン・アリーにより王朝一時的に持ち直し1347年にはチュニス奪回した。しかしマリーン朝復興長く続かず、アブー・アルハサンの次のスルタンであるアブー・イナーン・ファーリス死後は再び有力者同士内紛衰亡し、ポルトガル王国により地中海大西洋沿岸の諸都市占領された。マリーン朝最終的に15世紀半ば崩壊し以後モロッコ地域神秘主義教団の長や地方部族割拠する状態になった

※この「タイファ期」の解説は、「ベルベル人」の解説の一部です。
「タイファ期」を含む「ベルベル人」の記事については、「ベルベル人」の概要を参照ください。

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