ソーラーカー・チャレンジ
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「篠塚建次郎」の記事における「ソーラーカー・チャレンジ」の解説
2008年の春、母校の東海大学チャレンジセンターのソーラーカーチームの学生が、同年9月28日 - 10月8日にかけて、南アフリカ共和国で開催される国際自動車連盟公認のソーラーカーラリー「サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2008 (SASC 2008)」へ出場に向けて悪戦苦闘している様子を知った。このソーラーカーラリーは、アフリカ大陸初の大会となり、全長4,000 km超えの世界最長のソーラーカーレースであった。同大学の木村英樹 (工学者)教授からの要請もあり特別アドバイザーに就任し、ソーラーカーのドライバーも務め、総合優勝の達成に大きく貢献した。 2009年10月、オーストラリア大陸のダーウィン (ノーザンテリトリー)?アデレード間の3,000 kmを走破する、グローバル・グリーン・チャレンジ(ワールド・ソーラー・チャレンジから発展)に、東海大学が製作した新型ソーラーカー「Tokai Challenger」で出場、2位以下に2時間以上の大差を付けて優勝を飾った。このソーラーカーには、シャープが提供する変換効率30%、出力1.8 kWの高性能な太陽電池などが搭載されていた。6 m2以下という太陽電池面積の新レギュレーション下で、世界最速となる100.54 km/hの平均速度記録を樹立した。レース中の最高速度は、チーム計測値で123 km/hを記録した。 2010年5月23日、高橋尚子がフロントランナーを務める「スマイル・アフリカ・プロジェクト」の「第2回ソトコト・サファリ・マラソン」において、先導車として用意されたソーラーカー「ELA」をドライブ。7月9 - 11日にかけて群馬県の伊香保温泉で開催されたクラシックカーラリー「スプレンドーレ伊香保」にアルファロメオ・2600スパイダーで出場、40位で完走した。このラリーでは息子の建太がコ・ドライバーを務め、初の親子参戦が実現している。2010年9月22 - 10月2日、サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2010に出場する東海大学チャレンジセンターチームに参加し、ソーラーカーTokai Challengerのドライバーを担当する。総走行距離4061.8 kmを45時間5分で走行して優勝し、同大会で二連覇を達成。このときの平均速度は90.1 km/hであった。 2011年10月、オーストラリアで開催されたワールド・ソーラー・チャレンジに、東海大学チームのドライバーとして参戦し、2009年に続き大会二連覇、南アフリカ大会と合わせた国際ソーラーカーレースで4連覇を達成した。 2012年、4年間ドライバーを務めた東海大学チームを離れ、本人が代表を務める「ソーラーカーチーム篠塚」を結成。東芝、鈴与などがスポンサーとなった。FIA公認のソーラーカーレース鈴鹿ではオリンピアクラス3位、サソール・ソーラー・チャレンジ・サウスアフリカでは総合2位(アドベンチャークラス優勝)となった。この南アフリカ大会の模様は、2012年10月27日にBS-TBSで放送され、実子の絲木建太がナレーションを務めた。 2014年8月、沖縄県宮古島市の下地島空港の滑走路にてソーラーカー世界最高速記録を更新。滑走路往復500 m走行を光電管で計測し、8月22日にはギネス公式認定員立会いの下、それまでの世界最高速記録だった88.738 km/hを破る88.891 km/hを記録し、即日認定された。8月20日にも91.332 km/hを出して世界最高速記録を更新していたが、当日は認定員不在だったために後日証拠とともに申請し、その記録も認められたため、最終的な認定記録は91.332 km/hとなった。
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