スプラッター、クリミ、ジャッロ映画
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「スラッシャー映画」の記事における「スプラッター、クリミ、ジャッロ映画」の解説
スラッシャー映画は、スプラッター映画やクリミ映画およびジャッロ映画から影響を受けている。 スプラッター映画は過剰なまでの流血に重きを置いている。ハーシェル・ゴードン・ルイスの『血の祝祭日』(1963)は、ドライブインシアターでヒットし、多くの場合最初のスプラッター映画と見なされている。ルイスはその後も『2000人の狂人』(1964)、『カラー・ミー・ブラッド・レッド』(1965)、『悪魔のかつら屋』(1967)、及び『血の魔術師』(1971)といった残酷映画の制作を続けた。このグロテスクなスタイルは、アンディ・ミリガンの『The Ghastly Ones』(1969)、『密室の恐怖実験』(1968)、『連続暴行魔』(1969)、『The Haunted House of Horror』(1969)に移行していった。 第二次世界大戦後のドイツは、イギリスの作家エドガー・ウォーレスの犯罪小説をクリミ映画と呼ばれる独自のサブジャンルに適合させた。クリミ映画は1950年代後半から1970年代初頭に公開され、 マーティン・ベッチャーやピーター・トーマスなどの作曲家のジャズ楽曲を伴う大胆な衣装の悪役を特徴としている。ロンドンを恐怖に陥れた殺人犯についての『Fellowship of the Frog』(1959)はアメリカで成功し『The Green Archer』(1961)や『Dead Eyes of London』(1961)のような類似の適応をもたらした。Rialto Studioは、1959〜1970年に32作のクリミ映画を制作した。 イタリアのジャッロスリラーは、 エロティシズムおよびサイコロジカルホラーと組み合わせた警察小説または殺人ミステリーである。ジャッロ映画では、壮大な方法で殺人を行う正体不明の殺人者が登場する。多くのアメリカのスラッシャー映画とは異なり、最もスタイリッシュなミラノファッションを身に着けているジェット族の成人がジャッロの主役として登場することが多い。これらの主人公は、殺人を目撃したり、犯罪の疑いをかけられるなどの酌量すべき状況によって事件に巻き込まれた部外者であることが多い。クリミ映画のように、ジャッロのプロットは風変りで現実離れした傾向があり、時折超自然な要素が物語の解決に使われる時がある。セルジオ・マルチーノの『影なき淫獣』(1973)は、過去の悪行に対する報復として、美しく性に奔放な女子学生達を狙う仮面の殺人者をテーマにしており、同作の終盤では、孤立した別荘で「ファイナル・ガール」が殺人者と対峙する。マリオ・バーヴァの『血みどろの入江』(1971)は、 湖岸の環境で独創的な死亡シーンを描いたミステリーであり、『13日の金曜日』(1980)と1981年の続編に大きな影響を与えた。ジャッロはアメリカの映画館やドライブインシアターで人気があったが、ヨーロッパよりも厳しく検閲されており、イギリスの広告ではスリルや暴力よりもセックスやヌードを売り込んでいた。イギリスのスリラー『血臭の森』(1971)とスペインのミステリー『A Dragonfly for Each Corpse』(1974)は、イタリアのジャッロに通ずるところが多い。『Death Steps in the Dark』(1977)はジャッロ映画のお約束を茶化した。『サスペリアPART2』(1975)と『The Blood-Stained Shadow』 (1978)の成功にもかかわらず、1970年代半ばまでにジャッロ映画は徐々に廃れ、収益の減少で予算の削減を余儀なくされた。 『Play Motel』(1979)や『Giallo a Venezia』(1979)などの低予算映画は、過激なハードコアポルノ描写を売りとした。
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