シムノン・ジョルジュとは? わかりやすく解説

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シムノン・ジョルジュ(Georges Simenon)

1903年(明36)、ベルギーリエージュ生まれ。別名ジョルジュディズリー、プリックエプロック、ゴムギュット、リュクドルサン、ボベット、ジャックデルソンヌ、キム、プムエゼット、ジャンサンドール、ガストンヴェアリ、Gヴィオリ、ジェルマンダンティーブ、ジャンドルサージュ、J-Kシャルル、ジャンドサージュ。
ベルギー国籍フランス探偵作家だが、大衆小説純文学多彩な活躍で、フランス文壇代表的存在
1919年(大8)、16歳で「ガゼットドリエージュ」紙の通信記者となり、1920年(大9)に処女作であるユーモア小説箱船の上に」をジョルジュシム名義発表
20歳から30歳までに、通俗作家のジョルジュイスタの紹介で、ジョルジュシム、クリスチャンブリュル、ジョルジュマルタン-ジョルジュ、ジャンデュペリー、アラミスなど20種類余りペンネーム使って200冊の通俗長編小説執筆
1929年(昭4)、シムノン名義で「怪盗レトン」を執筆し1931年(昭6)に刊行メグレシリーズ第一作だが、メグレ1930年(昭5)にブリュル名義発表したTrain de nuit」に登場した端役だった。この年だけでも「死んだギャレ氏」「聖フォリアン寺院首吊り男」「深夜十字路」「運河秘密」「男の首」「黄色」「オランダ犯罪」「ゲームーランの踊り子」「山峡の夜」などの11編を刊行
1933年(昭8)、「の港」を発表
1939年(昭14)、江戸川乱歩が「聖フォリアン寺院首吊り男」を「幽鬼の塔」として「日の出」に翻案する
1948年(昭23)、「汚れていた」を発表
1952年(昭27)、ベルギーアカデミー会員選定
1966年(昭41)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞受賞
作品数400以上にものぼり、驚異的な執筆量を誇る。はじめの二年間月一冊のペースメグレ物を執筆していた。語り口巧みさ、性格描写の的確さ、豊かな地方色特色がある犯罪心理小説である。
日本では1935年(昭11)から多数紹介され欧米よりもいちはやくシムノンブームが巻き起った経緯がある。木々高太郎招き来日予定されていたが、実現しなかった。
1972年(昭47)、「メグレ最後の事件」までで、長編77中編35メグレシリーズがある。55国語翻訳され半世紀近くベストセラー続け、5億冊以上も売ったという。
1989年(平1)、死去




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