ジャクソン: 銀行戦争と猟官制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 09:57 UTC 版)
「第二政党制 (アメリカ合衆国)」の記事における「ジャクソン: 銀行戦争と猟官制度」の解説
ジャクソンは自分のことを改革者だと考えていたが、実際には共和主義の昔ながらの理想にしがみつき、特別な利益のための特別な恩恵となるもの全てに激しく反対した。大統領になってからのジャクソンは決闘を行わなかったが、以前に政敵を撃ったことがあり、政界という戦場での敵を打ち倒そうと決めていた。第二次政党制は、ジャクソンが第二合衆国銀行を消滅させることに決めたのが主要な原因で起こった。この銀行はフィラデルフィアを本部に、全国の主要都市に支店を構えており、連邦政府が認証し、中央銀行(1世紀後の連邦準備制度に類似)のように運営されていた。地方の銀行家や政治家は、声高く不満を言うニコラス・ビドル第二合衆国銀行頭取によって行使される統制に悩まされていた。ジャクソンは如何なる銀行も好まなかった。ジャクソンにとって紙幣は受け入れ難いものであり、金と銀の正金だけが流通されるべきものと考えていた。第二合衆国銀行問題について、主役であるヘンリー・クレイとの超人的な戦いの後で、ジャクソンは遂にビドルの銀行を潰した。 ジャクソンは銀行制度に対する攻撃を続けた。1836年の「正金流通」で銀行が発行する紙幣を拒否し(このとき国有地を買うときには使えなかった)、金貨と銀貨に固執した。事業家や銀行家の大半(全てではない)がホイッグ党に乗り換え、商業都市や工業都市はホイッグ党の強固な地盤になった。一方ジャクソンは、銀行家や金融に不信を抱く自作農や日雇い労働者に人気があった。 ジャクソンは「猟官制度」と呼ばれた連邦政府の互恵制度を体系的に利用した。過去の支持者に報いるだけでなく、地方や州の政治家が自分の仲間に加われば将来の職を約束した。伝記作者のシレットが説明しているように、ジャクソンが大統領になったとき、「共和主義信条の指導的原理」と宣言して役職のローテーション理論を導入した。役職のローテーションは公職の腐敗が広がることを防ぐものと考えていた。一方でジャクソンの支持者達は党に忠実である者に報いるために公職を使い、党を強めることを望んだ。実際にこれは公僕を党の友人あるいは忠誠者で置き換えることを意味していた。猟官制度はジャクソンに始まったことではなかった。トーマス・ジェファーソンが大統領になった後で、連邦党員の役人を排除したのが始まりだった。ジャクソンは役人全体を変えたのでもなかった。その大統領任期が終わる時点で、当初の公務員の20%足らずを解任しただけだった。ジャクソンが猟官制度を始めたのではなかったが、その成長を奨励し、第二次政党制、さらには第三次政党制が終わる1890年代まで、その中心的な形態となった。ある歴史家は以下のように説明している。 ジャクソンはその同時代人が想像するよりも遙かに少ない政府職員を解任しただけであり、また猟官制度を始めたわけでもなかったが、連邦の役所に対して前任者よりも大きな変化を与えた。さらに重要なことは、ジャクソンがこれらの変化を肯定的善として守ったことである。政治的互恵関係を使うことは良い政府の障害になると考えられている現在でも、ジャクソンとその追随者が公職のローテーションを「改革」と常に表現していたことは記憶される価値がある。この意味で猟官制度は、ジャクソンの友人に報い、敵を罰する以上のものだった。ジャクソンが長い任期のために腐敗していたと主張する少数政治集団の代表を公職から追い出す工夫でもあった。
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