シラードのエンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 22:35 UTC 版)
「マクスウェルの悪魔」の記事における「シラードのエンジン」の解説
記憶の消去によっていかにしてマクスウェルの悪魔が破綻するかを知るために、それを単純化したモデルであるシラードのエンジンを考える。 シラードのエンジンは、多くの気体分子を閉じ込めた容器を考える代わりに 1 分子だけを入れた容器によって熱から仕事を作り出す仮想的なエンジンである。 エンジンを操作する微小な悪魔は観察や適当な機械的動作を行う。 この悪魔は知的な存在である必要はなく、必要なら適切な機械的過程で置き代えることができる。 エンジンは熱浴(英語版)の中におかれ、熱のやりとりにより分子の温度 (平均速度) は周囲の温度と同じに保たれる。 このエンジンのサイクルは次の 3 段階にわけることができる (図参照)。 まず、最初の状態 A では、適当なメモリからなる悪魔がある決まった状態 0 におかれているとする。 よって、悪魔は気体のどこに分子があるかまだ知らない。 (a) 観測 容器の中央に仕切りを入れ、悪魔が左右どちらに分子があるかを観測する。 ここで悪魔は気体から 1 ビットの情報を得ることになる。 観測結果に応じて、悪魔のメモリの状態は R (図上段) もしくは L (図下段) となる。 これにより気体の状態とメモリの状態との間には相関が成立する。 (b) 熱から仕事への変換 分子が右にあったときには、中央の仕切りを左に、左にあったときには右に、ゆっくりと動かせるようにする。 このとき、過程は等温過程であり、(自由膨張なので)内部エネルギーは変化しない。 より細かく言えば、分子は容器を押すときに仕事をし、わずかにエネルギーを失うが、すぐに周囲の熱浴から熱のエネルギーを受け取る。 これによって、周囲の熱 Q を仕事 W に変えることができる。 体積が 2 倍になるときには、この仕事に代わるエネルギーは kT ln 2 である。 (c) 記憶の消去 最後にサイクルを完結させるために、元の状態 A に戻すには、悪魔のメモリの状態 R または L の区別を消去して共に 0 にする必要がある。 もし (a) の観測過程にも、(c) の記憶の消去にもエネルギーの消費が必要ないとすれば、このエンジンを永久に働かせることができ、これは熱から仕事を取り出す永久機関となってしまう。 ベネット以前は観測過程に最小限必要なエネルギーがあるのだと考えられていたが、実際にはエネルギーの消費を必要とせず観測を行うことは可能である。 逆に (c) の記憶の消去は R と L の状態を単一の 0 の状態にせねばならず、ランダウアーの原理によりどこかに余分な状態を熱として捨てなければならない。 このとき結局、得た仕事 W 以上のエネルギーを熱とすることになり、このエンジンは期待通りには働かない。 上図の下段の図は、悪魔のメモリの状態を縦軸にとり、気体の状態を横軸にとった相空間を表す。 このエンジンを外側から見る観察者にとって、悪魔と気体両方の系の起こりうる状態は各段階で色付きの部分となる。 この状態数の対数は系内部のエントロピー S に比例する。 もし、S が減少するなら、それを補うだけの外部のエントロピーの上昇がなければならない。 実際、過程 (a) でメモリと気体に相関が成立するだけではエントロピーは減少しない。 過程 (b) で 1 ビットのエントロピーの上昇があり、そのままではこれは非可逆サイクルとなる。 よって内部エントロピーを減少させるメモリの消去の過程 (c) が必要となる。 ところが、悪魔が R となり上図の上段の経路を通ったか、L となり下段の経路を通ったかを知ろうとして、(b) において(おそらくはエネルギー散逸なしで)実験者 X が悪魔の状態を観察するかもしれない。 これによって例えば X が悪魔の状態を R だと知ったときには相空間での可能な状態は、図の赤い部分だけに減るように思われ、内部エントロピーの変化は、順に (a) 1 → (b) 0 → (c) 1 → (a) 1 となる。 このときはあたかも観測でエネルギー散逸が必要で、消去にエネルギー散逸は必要なくなったように思われる。 しかし、この場合には実験者 X がメモリを観測したために実験者自身が悪魔として気体との相関をもってしまっており、サイクルは完結していない。 X の観察結果を知らない人からみれば、やはり X がその記憶を消去するときにエネルギー散逸が必要となる。 このことはエントロピーが観測者の知識に依存した観測者相対の概念であることを明瞭に示している。 なお、この観測過程を量子論における収縮(収束、崩壊)を伴う量子状態の観測だとみなすと、この議論はシュレーディンガーの猫に類似している。 このとき、悪魔と分子の位置の相関は猫の生死の状態と同位体の崩壊の状態とのEPR相関に対応し、それを外から見ることは猫の生死の重ねあわせを認める観測問題のエヴェレット解釈に、悪魔の状態を実験者が観察することは収縮を認める立場に対応づけることができる。
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