ナイス (バンド)
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ナイス[注釈 1](The Nice)は、1960年代後半に活動したイングランド出身のロック・バンド。キーボーディストのキース・エマーソンが在籍していた事で知られ、プログレッシブ・ロックの始祖のバンドの一つに挙げられる。
- 1 ナイス (バンド)とは
- 2 ナイス (バンド)の概要
ザ・ナイス
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「デヴィッド・オリスト」の記事における「ザ・ナイス」の解説
1967年2月にジ・アタックを脱退し、アンドリュー・ルーグ・オールダムに見出されて、女性シンガーのP. P. アーノルドの「パット・アーノルド・アンド・ハー・ナイス」に加入。キース・エマーソン(キーボード)、リー・ジャクソン(ベース)、イアン・ヘイグ(ドラムス)と活動した。その後、5月までにハー・ナイスでギグを行い、夏のナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルに出演した。8月、ドラマーがブライアン・デヴィソンが代わり、9月にはハー・ナイスは「ザ・ナイス」としてアーノルドから独立した。 ザ・ナイスのデビュー・アルバム『ナイスの思想』は1968年3月に発表された。その年の7月、レナード・バーンスタインの「アメリカ」の改作が、イギリスのシングル・チャートで21位に達して、彼らの唯一のヒットとなった。ザ・ナイスでのオリストの演奏スタイルは、オールミュージックのBruce Ederに「ヘンドリックス風のギター、シャープな安心感」と評された。しかし、エマーソンとオリストという2名の強力な演奏家は競い合い両雄並び立たず、オリストはセカンド・アルバムをレコーディング中の1968年10月にザ・ナイスを脱退した。 ザ・ナイスに在籍中、1967年にオリストはピンク・フロイドのシド・バレットの代役を担当した。「それはすごかった」と彼は50年後に回想している。「それはジミ・ヘンドリックスとフロイドのパッケージ・ツアーだったので、夢のように感じました。私はフロイドの音楽を本当によく知っていたので、彼らが一緒に演奏するように頼んでくれたとき、お安い御用でした」。フロイドが彼をバレットに代わる正式メンバーにしようと考えていたかどうか尋ねられると、彼はこう答えた。「どうやら彼らはそれを考えていたようです。彼らは私が数回ライブで演奏するのを見てくれたのですが、私はまだ19歳でしたし、ビジネスにおいても初な若者でした。もっと自分を売り込むべきでした」。
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