トニー・ストラットン・スミスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トニー・ストラットン・スミスの意味・解説 

トニー・ストラットン・スミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 19:31 UTC 版)

トニー・ストラットン・スミス
Tony Stratton Smith
生誕 Anthony Mills Smith
(1933-08-11) 1933年8月11日
イングランド ウルヴァーハンプトン
死没 (1987-03-19) 1987年3月19日(53歳没)
ジャージーセント・ヘリア
別名 ストラット (Strat)
職業 音楽マネージャー、レーベル・オーナー
著名な実績 カリスマ・レコード、ザ・クーバス、ナイスヴァン・ダー・グラフ・ジェネレータージェネシスボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドモンティ・パイソン
テンプレートを表示

トニー・ストラットン・スミスTony Stratton Smith1933年8月11日 - 1987年3月19日[1][2]は、イングランドロック・マネージャー、起業家。彼は、1969年にロンドンを拠点とするレコード・レーベル、カリスマ・レコードを設立し、ナイスヴァン・ダー・グラフ・ジェネレータージェネシスなどのロック・グループをマネージメントした。

略歴

スミスは、アンソニー・ミルズ・スミスとしてイングランドウルヴァーハンプトンで生まれた[1][注釈 1]。スポーツ・ジャーナリストとしてキャリアをスタートし、主に「デイリー・スケッチ」紙と「デイリー・エクスプレス」紙でサッカーをレポートした。1954年に「デイリー・スケッチ」で働いていたトニー・スティーヴンスという名前の別のジャーナリストとの混同を避けるために、トニー・スミスは名前をトニー・ストラットン・スミスに変更したが、これをハイフンでつながれた姓(Stratton-Smith)と間違える人もいた。後年、彼は特に音楽業界の同僚の間では「ストラット (Strat)」の呼び名で知られるようになった[4]

「デイリー・エクスプレス」在職中、スミスは1958年にユーゴスラビアで行われたヨーロピアン・カップマンチェスター・ユナイテッドレッドスター・ベオグラードの試合の取材を任された。しかし、サッカーの主任担当記者であるヘンリー・ローズはスミスの代わりに自身を派遣することを独断で決定した。その帰路において選手や関係者、報道陣を乗せた航空機は、ミュンヘンの悲劇として知られる事故で墜落し、ローズも死亡者の一人となった[5]

その後、スミスはビートルズ、特にマネージャーのブライアン・エプスタインの影響を受け始め、音楽ビジネスに参入することを決意した。彼がマネージメントした最も初期のバンドの1つは、エプスタインの後を引き継いだ、リバプールを拠点とするザ・クーバスであった[6]。その後、1968年にアンドリュー・ルーグ・オールダムからナイスのマネージメントを引き継ぎ[7]、オールダムのイミディエイト・レコード・レーベルでの仕事ぶりに不満を抱き、自分自身のレーベル設立を決意した。

その後、ボンゾ・ドッグ・バンドヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターと契約。1969年にはプログレッシブ・ロック・バンドのジェネシスと、自身のレコード会社およびマネージメント会社と契約を結び、バンドのセカンド・アルバムである『侵入』(1970年)をリリースした。ジェネシスはレーベルで最も商業的に成功したグループとなった。スミスはモンティ・パイソンの多くのレコードをリリースし、映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975年)の資金提供に貢献した。また、元ボンゾズのフロントマン、ヴィヴィアン・スタンシャルのレコーディングを行い、スタンシャルの映画『Sir Henry at Rawlinson End』(1980年)に資金提供し、プロデューサーとしてもクレジットされている。スミスが密接に関わっていた他の重要なアーティストには、アトミック・ルースター、オーディエンス、ブランドXフィル・コリンズピーター・ガブリエルスティーヴ・ハケットピーター・ハミル、リンディスファーン、ジュリアン・レノンロバート・ジョン・ゴドフリー、ストリング・ドリヴン・シング、レア・バードなどが含まれている。ハケットによると、スミスはカリスマ社にデモが持ち込まれていたクイーンと契約する機会を逃したという[8]。ゲイル・コルソンは、カリスマでレーベル・マネージャー兼共同マネージング・ディレクターとして彼と一緒に働いた。彼女は、1970年代後半に自分の会社を設立するために会社を去り、特にガブリエルやハミルらのソロ・キャリアをマネージメントすることになった[9]

アメリカでは、カリスマ・レコードの録音は、ABCレコード (傘下のレーベルであるダンヒル・レコードプローブ・レコードを含む)、エレクトラ・レコードブッダ・レコードアトランティック・レコードマーキュリー・レコードアリスタ・レコードなどの他のレーベルにライセンス供与されることがよくあった。このレーベルは最終的に、1983年にヴァージン・レコードに売却された。ヴァージンは、1980年代後半の短期間、新しいロゴでカリスマの名前を再活性化した。現在、カリスマのカタログの大部分は、EMIによって所有されている。

友人の間で「ストラット」と呼ばれていた彼は、ユーモアのセンスとプロモーションの才能で知られていた。そのユーモアのセンスは、販促資料やレコード・レーベルのアートによく表れている。並外れた創造的才能を見出す耳を持つ彼は、特に初期の段階でカリスマを成功へと導いた。通常は「カリスマ・レコード」として知られているが、同社は自らを「有名なカリスマ・レーベル (The Famous Charisma Label)」としても宣伝していた。

その死

同性愛者だったスミス[10]は、1987年3月19日に膵癌のため53歳で死去した。同年5月6日、ロンドンのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズで彼の追悼式が執り行われた[11]キース・エマーソンは「Lament for Tony Stratton Smith」を演奏した[注釈 2]

1987年の死後すぐにリリースされたマリリオンのアルバム『旅路の果て』のスリーブ・クレジットでは、スミスへの献辞がなされている。ピーター・ハミルの曲「Time to Burn」(1988年)は「トニー・ストラットン・スミスへの別れのようなもの」[12]となり、キース・エマーソンは、カール・パーマーロバート・ベリーと結成した3の唯一のアルバム『スリー・トゥ・ザ・パワー』(1988年)で、「Lament for Tony Stratton Smith」を3人で演奏した「On My Way Home」をスミスに捧げ、スティーヴ・ハケットは、アルバム『モーメンタム』収録曲「Concert For Munich」をスミスに捧げた[13]

脚注

注釈

  1. ^ マーキー・クラブのウェブサイトには、彼の出生地はバーミンガムと記載されていた[3]
  2. ^ アルバム『Hammer It Out - Anthology』(2005年)収録。

出典

  1. ^ a b Groom 2021, p. 15.
  2. ^ Aldous, Steve (2020). The Songs of Genesis: A Complete Guide to the Studio Recordings. McFarland. p. 313. ISBN 978-1-476-63984-0 
  3. ^ Tony Stratton Smith”. The Marquee Club (official website). 2014年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月9日閲覧。
  4. ^ Groom 2021, p. 26.
  5. ^ “Donny Davies, The Guardian correspondent who died in the Munich air disaster”. The Guardian. (2018年2月5日). https://www.theguardian.com/football/2018/feb/05/munich-air-disaster-donny-davies-guardian-football-correspondent-died 2018年2月6日閲覧。 
  6. ^ Christopulos & Smart 2005, p. 23.
  7. ^ Hanson 2002, p. 61.
  8. ^ Steve Hackett – Tracks of My Years”. BBC (2012年7月29日). 2015年9月13日閲覧。
  9. ^ Easlea, Daryl (2013). Without Frontiers: The Life & Music of Peter Gabriel. Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-315-6 
  10. ^ “The Velvet Mafia: the gay men who helped shape music in the 60s” (英語). The Guardian. (2021年2月2日). http://www.theguardian.com/music/2021/feb/02/the-velvet-mafia-the-gay-men-who-helped-shape-music-in-the-60s 2021年2月2日閲覧。 
  11. ^ Hanson 2002, p. 164.
  12. ^ Sofa Sound”. Sofasound.com. 2021年10月13日閲覧。
  13. ^ Groom 2021, p. 312.

参考文献

  • Christopulos, Jim; Smart, Phil (2005). Van der Graaf Generator, The Book: A History of the Band Van der Graaf Generator 1967 to 1978. Phil and Jim Publishers. ISBN 978-0-9551337-0-1 
  • Hanson, Martyn (2002). Hang on to a Dream : The Story of The Nice. Helter Skelter Publishing. ISBN 1-900924-43-9 
  • Groom, Chris (2021). Charlesworth, Chris. ed. Strat!: The Charismatic Life & Times of Tony Stratton Smith. Wymer Publishing. ISBN 978-1-912782-61-1 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  トニー・ストラットン・スミスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トニー・ストラットン・スミス」の関連用語

トニー・ストラットン・スミスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トニー・ストラットン・スミスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトニー・ストラットン・スミス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS