ナイス (バンド)
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ナイス | |
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1970年3月28日、ハンブルグのイースター・フェスティバルにて
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基本情報 | |
原語名 | The Nice |
別名 |
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出身地 | ![]() |
ジャンル | |
活動期間 |
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レーベル | |
旧メンバー |
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ナイス[注釈 1](The Nice)は、1960年代後半に活動したイングランド出身のロック・バンド。キーボーディストのキース・エマーソンが在籍していた事で知られ、プログレッシブ・ロックの始祖のバンドの一つに挙げられる。
結成時はキーボーディスト、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーからなるカルテットだったが、デビュー約1年後にキーボード・トリオに再編された。
略歴
結成
1967年5月、ローリング・ストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムが所有するイミディエイト・レコードに所属していたシンガーのP・P・アーノルド[注釈 2]のバック・バンドとして結成された。メンバーはアーノルドにバンドの結成を依頼されたエマーソン[注釈 3](キーボード、元ザ・ヴィップス)、エマーソンが以前在籍していたバンドの同僚だったリー・ジャクソン(ベース・ギター、元ゲイリー・ファー・アンド・ザ・T・ボーンズ)、デヴィッド・オリスト (ギター、元ジ・アタック)、イアン・ヘイグ[5][6] (ドラムス、元クリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズ)の4人だった。アーノルドと彼等はパット・アーノルド・アンド・ザ・ナイスとして活動を開始した[注釈 4][7][8]。
エマーソンはアーノルドにバック・バンドの結成を頼まれた時、自分達だけの出番も欲しいと彼女に言い、彼女が登場する前の2、30分間を好きに使っていいという快諾を得た[9]。アーノルドのライブ[注釈 5][10]の最初の部分はナイス単独の演奏になり[注釈 6][11][7]、彼女は徐々にリハーサルに現れなくなり、時には本番まで無断欠勤することすらあったという[12][13]。ナイスは徐々に人気を集め、8月にバークシャーのウィンザーで開催された第7回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルに単独で出演し、オールダムのマネージメントの下でマーキー・クラブに毎週出演するようになった[14]。そして、薬物常用で失調をきたして演奏に難があったヘイグ[10]を解雇して、エマーソンやジャクソンの昔なじみだったブライアン・デヴィソン(ドラムス、元マーク・リーマン・ファイヴ)を迎えた[15]。
アメリカ人のアーノルドは、イギリスの労働許可証の有効期限の終了が近づいたので、一旦帰国して子供達を連れてくることにした。彼女の帰国前に、彼等は彼女のデビュー・アルバム『ファースト・レディ・オブ・イミディエイト』の録音に参加した[注釈 7][16][17]。そして1967年9月、オールダムをマネージャーに迎えてナイスとして独立した。
デビューから解散まで
1967年11月、イミディエイト・レコードからデビュー・シングル『The Thoughts of Emerlist Davjack』[注釈 8]、翌1968年1月にはデビュー・アルバム『ナイスの思想』を発表。ライブでエマーソンがハモンドオルガンに乗っかったりナイフを突き刺したりするアクション[注釈 9]も話題を呼んだ。4月、オールダムに不満を抱いて、元ジャーナリストのトニー・ストラットン・スミス[注釈 10]とマネージメントの契約を結んだ[18]。7月にはミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の挿入歌をカバーした「アメリカ」[注釈 11]が全米のシングル・チャートを29位まで上昇した[11]。
新作アルバムの録音中、薬物依存症で遅刻や欠席を繰り返すオリストを解雇。元ボダストのスティーヴ・ハウを迎えようとしたが断られ、ギタリスト不在のトリオに再編[19]。11月に2作目のアルバム『少年易老学難成』を発表して、1969年にはアメリカ公演を行い、4月のフィルモア・イーストでのライブ録音と新たなスタジオ録音を組み合わせて、9月に3作目のアルバム 『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』[注釈 12]を発表。その後、スミスはイミディエイト・レコードの対応に強い不満を覚えて、ナイスを同年に自分が設立したカリスマ・レコードに移籍させた[20]。
エマーソンとジャクソンはニューカッスル芸術祭から楽曲制作を依頼されて、当地に掛かる5つの橋に因んだ組曲を共作。ナイスは、ニューヨーク・シンフォニーの指揮者で、かねてからポップ/ロック・グループとの共演を望んでいたジョセフ・イーガーに連絡して、1969年10月にイーガーが指揮するシンフォニア・オブ・ロンドンとの共演で披露した。この頃からエマーソンとジャクソン、デヴィソンとの間の音楽上の意見の相違が表面化し始めた[注釈 13]。
1969年11月からキング・クリムゾンと合同でアメリカ公演を行う。その際、エマーソンがキング・クリムゾンのグレッグ・レイクと意気投合し、新しいバンドの結成を構想し始める[注釈 14][21]。契約を履行しなければならなかったので結成は水面下で進められた[11]が、1970年初頭の英国音楽紙では「ナイスにグレッグ・レイクが加入」という記事が出回った。
1970年4月、ナイスは正式に解散した[注釈 15][22]。カリスマ・レコードは、同年6月に前年のシンフォニア・オブ・ロンドンとの共演を収録した『ファイヴ・ブリッジズ』[注釈 16]、1971年4月に移籍後の未発表の音源を収録した『エレジー』[注釈 17]、1972年に移籍前のイミディエイト・レコード時代の楽曲の別ヴァージョンやアルバム未収録曲などを含んだ『オータム'67 – スプリング'68』を発売した[注釈 18][23]。
解散後の動向

エマーソンはかねての計画通りレイクと合流し、アトミック・ルースターのカール・パーマーを誘って「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(ELP)を結成した[注釈 19]。ジャクソンは「ジャクソン・ハイツ」を結成してアルバムを4作発表[注釈 20]し、デヴィソンは「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」を結成してアルバムを1作発表したが、いずれも商業的な成功には至らなかった。
1973年夏、ジャクソン[注釈 21]とデヴィソン[注釈 22]は、キーボーディストのパトリック・モラーツと「第2のナイス」を企図した[24]「レフュジー」を結成[注釈 23]。1974年にアルバム『レフュジー』でデビューした[注釈 24]が、その直後、モラーツがリック・ウェイクマンの後任としてイエスに引き抜かれたので、活動停止を余儀なくされた[25][26]。
2002年、エマーソン、ジャクソン、デヴィソンがキース・エマーソン&ザ・ナイスの名義で32年ぶりに国内ツアーを行ない、2003年、ライブCD『ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002』を発表した[注釈 25]。
2008年4月15日、デヴィソンが病気で他界。享年65歳。
2009年、ヴァージン・レコードの傘下にあるカリスマ・レコードが、1969年12月19日と20日にフィルモア・イーストで録音された音源を『フィルモア・イースト 1969』として発表。
2016年3月10日、エマーソンが自殺で他界[27]。享年71歳。
エピソード
- 1967年に雇われたイアン・キルミスターというローディーが、エマーソンがナイフをオルガンの鍵盤に突き刺すのを見て、彼にヒトラーユーゲント・ナイフを提供した。キルミスターは後のレミー・キルミスターである[28]。
- 1968年7月7日、ロイヤル・アルバート・ホールで開かれたビアフラ救済チャリティーコンサートで、エマーソンは「アメリカ」の最後にオルガンを倒して星条旗をかぶせて火をつけた。その結果、ナイスは同ホールでの演奏を禁じられてしまった[29]。
メンバー
- キース・エマーソン Keith Emerson – キーボード、ボーカル(1967年5月–1970年4月、2002年)※2016年死去
- リー・ジャクソン Keith "Lee" Jackson – ベース、ボーカル(1967年5月–1970年4月、2002年)
- ブライアン・デヴィソン Brian "Blinky" Davison – ドラムス(1967年8月–1970年4月、2002年)※2008年死去
- デヴィッド・オリスト David "Davy" O'List – ギター、ボーカル(1967年5月–1968年10月)
- イアン・ヘイグ Ian Hague – ドラムス (1967年5月–1967年8月)
変遷
- パット・アーノルド・アンド・ザ・ナイス (1967年5月 - 8月23日)
- P・P・アーノルド – ボーカル
- キース・エマーソン – キーボード
- デヴィッド・オリスト – ギター
- リー・ジャクソン – ベース
- イアン・ヘイグ – ドラムス
- パット・アーノルド・アンド・ザ・ナイス (1967年8月28日)[注釈 26]
- P・P・アーノルド – ボーカル
- キース・エマーソン – キーボード
- デヴィッド・オリスト – ギター
- リー・ジャクソン – ベース
- ブライアン・デヴィソン – ドラムス
- 第1期 (1967年9月 - 1968年9月)
- キース・エマーソン – キーボード、ボーカル
- デヴィッド・オリスト – ギター、トランペット、フルート、ボーカル
- リー・ジャクソン – ベース、ボーカル
- ブライアン・デヴィソン – ドラムス
- 第2期 (1968年10月 - 1970年4月)
- キース・エマーソン – キーボード、ボーカル[注釈 28]
- リー・ジャクソン – ベース、ボーカル
- ブライアン・デヴィソン – ドラムス、パーカッション
※『少年易老学難成』『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』録音[注釈 29]。
- キース・エマーソン&ザ・ナイス (2002年 - 2003年)
- キース・エマーソン – キーボード
- リー・ジャクソン – ベース、ボーカル
- ブライアン・デヴィソン – ドラムス
- デヴィッド・キルミンスター(David Kilminster) – ギター
- フィル・ウィリアムス(Phil Williams) – ベース
- ピート・ライリー(Pete Riley) – ドラムス
※『ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002』録音(2003年発表)。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- ナイスの思想 – The Thoughts of Emerlist Davjack(1968年、Immediate)
- 少年易老学難成 – Ars Longa Vita Brevis(1968年、Immediate)
- ジャズ+クラシック/ロック=ナイス – Nice[注釈 12] (1969年、Immediate)※片面スタジオ、片面ライブ。
ライブ・アルバム
- ファイヴ・ブリッジズ – Five Bridges(1970年、Charisma)
- エレジー – Elegy(1971年、Charisma)※2曲ライブ、2曲スタジオ録音。
- ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002 – Vivacitas(2003年、Sanctuary)※キース・エマーソン&ザ・ナイス名義。
- フィルモア・イースト 1969 – Live at the Fillmore East December 1969(2009年、Virgin)
ラジオ・セッション
- アメリカ – BBCセッションズ – America – The BBC Sessions[30](1996年、Receiver)
- スウェーデン・ラジオ・セッションズ – The Swedish Radio Sessions[31](2001年、Castle)
- BBCセッションズ – BBC Sessions[32](2002年、Sanctuary)
- ダイヤモンド・ハード・ブルー・アップルズ・オブ・ザ・ムーン – Diamond Hard Blue Apples Of The Moon[33](2010年、Micro Werks)
コンピレーション・アルバム
- オータム'67 – スプリング'68 – Autumn '67 – Spring '68(1972年、Charisma)※Autumn to Spring[34](1973年、Charisma)
- ナイセスト! – The Nicest Of The Nice[35](1970年)
- キース・エマーソン・ウィズ・ザ・ナイス – Keith Emerson with The Nice[36](1972年、Charisma)[注釈 30]
- ジ・イミディエイト・イヤーズ – The Immediate Years[37](1995年、Charly)
- Nice Hits Nice Bits[38] (1999年)
- ヒア・カムズ・ザ・ナイス – Here Comes The Nice[39] (2000年、Sanctuary)
シングル
- The Thoughts of Emerlist Davjack / Azrial (Angel of Death)[40](1967年11月、Immediate IM 059)
- アメリカ – America / The Diamond Hard Blue Apples of the Moon[41](1968年6月21日、Immediate IM 068)
- Brandenburger / Happy Freuds[42](1968年11月8日、Immediate IM 072)
- 夢を追って – Hang on to a Dream / Diary of an Empty Day[43](1969年、Immediate)
- カントリー・パイ – Country Pie / One of Those People[44](1969年、Charisma CB.132)
客演
脚注
注釈
- ^ バンド名はThe Niceであるが、その日本語表記にはアルバムや資料によって「ザ・ナイス」と「ナイス」があり、2007年現在のアルバム発売元であるビクター・エンタテインメントのウェブサイトは、1960年代後半に活動した時期のアルバムを「ナイス」というグループ名で分類している。またリットー・ミュージック刊「キース・エマーソンズ・インタビュー」では、当該バンドを「ナイス」と表記している。以上の点から、主に1960年代後半における活動を解説している本項では「ナイス」というバンド名を踏襲している。因みに彼等は2002年に再結成してKeith Emerson & The Niceというグループ名でライブ・アルバムを発表したが、その日本語表記には「キース・エマーソン&ザ・ナイス」が使用されている。
- ^ アーノルドは、1965年にアイク&ティナ・ターナーのバッキング・コーラス・トリオのジ・アイケッツにパット・アーノルドの名で在籍していた。その後、イギリスに移りオールダムのイミディエイト・レコードと契約を結んだ。2作目のシングル「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」はキャット・スティーヴンスの作品で、彼女のシングルはスティ―ヴンスがこの曲を彼のセカンド・アルバムに収録する前の1967年4月に発表されて、イギリスのチャートで最高18位を記録した。このヒットを受けて、彼女はツアーに出ることになり、その為にバック・バンドが必要になった。
- ^ エマーソンはザ・ヴィップスに在籍している時に、アーノルドの面倒を見ていたミッキー・ザ・オーという人物とフランスで出会い、彼からアーノルドがバック・バンドを必要としていることを聞いた。そこで帰国後に彼女を訪ねて、居間に置いてあったフェンダー・ローズ・ピアノを弾いたところ、感銘を受けた彼女からバック・バンドの結成を依頼されたので、4日間でメンバーを集めた。
- ^ バンドが結成されて、アーノルドとメンバーが揃って初めてのコンサートに向かう途中、アーノルドがスタンドアップ・コメディで有名なアメリカのロード・バックリーの科白であった"Here comes the Naz."を言ったところ、バックリーのことを何も知らないメンバーは「The Nazって何?」と聞き返した。アーノルドは「NazはNaz。貴方達がイギリスらしい名前がいいなら、The Niceにすればいい」と応えたことから、バンド名が決まった。Nazの語源はキリストの故郷ナザレ(Nazareth)で、バックリーは神の意味で用いた。
- ^ 「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」「スウィート・ソウル・ミュージック」「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」などを披露した。
- ^ 彼等は、ビリー・プレストンの「Billy's Bag」や映画『荒野の用心棒』のテーマ、ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、ボブ・デュランの「シー・ビロング・トゥ・ミー」などを演奏した。
- ^ a b ミック・ジャガーがプロデュースした数曲の録音にオールダムの意向で参加した。
- ^ Emerlist Davjackとはメンバー4人の名字から作られた造語である(Emerson, O'List、Davison, Jackson)。
- ^ 彼はパット・アーノルド・アンド・ザ・ナイスの時から、激しいステージ・アクションを披露していた。自伝には、アーノルドが歌う傍らでハモンドオルガンの上に乗っている写真が掲載されている。
- ^ 1988年にエマーソンが作詞・作曲してアルバム『スリー・トゥ・ザ・パワー』に発表した「オン・マイ・ウェイ・ホーム」は、前年に病死した彼に捧げられた曲である。
- ^ 原曲には歌詞があるが、ナイスのカバー曲はギターとオルガンの即興演奏を中間部に含んだインストゥルメンタル。冒頭とギター・ソロの直前に、ドヴォルザーク作曲の交響曲第九番『新世界より』第四楽章のメロディが使われた。
- ^ a b アメリカではEverything As Nice As Mother Makes Itとして発表された。
- ^ 『エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝』によると、エマーソンはオーケストラの導入を望んだが、ジャクソンとデヴィソンはその方法に反対した。
- ^ エマーソンは、ベーシスト兼ボーカリストを求めて、イエスのクリス・スクワイアや元クリームのジャック・ブルースを誘ったが、いずれにも断わられた。彼はスミスから内密にレイクを薦められ、フィルモア・ウエストでキング・クリムゾンと同じステージに立った直後の12月16日にレイクに秘密裏に会い、レイクとトリオを結成する決心をした。
- ^ 彼等の最後のツアーは1970年1月27日から始まった国内ツアーだった。2月7日のロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサートで、エマーソンは元マンフレッド・マンのマイク・ヴィッカーズから借りたモーグ・シンセサイザーを演奏した。2月10日にはツアーの合間にロサンゼルスに飛んで、NBCの企画でズービン・メータが指揮するロサンゼルス・フィルハーモニック・オーケストラと共演した。3月6日にはロイャル・フェスティバル・ホールで、イーガーが指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、エマーソンは再びモーグ・シンセサイザーを演奏した。3月22日にクロイドンのフェアフィールド・ホールでイギリスでの最後のコンサート、3月25日に最後のBBCセッション、3月30日に西ベルリンのフェスティバルで最後のコンサートをそれぞれ行なった後、解散した。
- ^ 1969年10月17日のロンドンでのシンフォニア・オブ・ロンドンとの共演のライブ録音を収録。他に、スタジオ録音が一曲と1969年12月フィルモア・イーストでのライブ録音が一曲収録された。ジャケットはヒプノシスによる。旧邦題は『フェアウェル・ザ・ナイス - 組曲「五つの橋」』。
- ^ スタジオ録音が2曲と1969年12月のフィルモア・イーストでのライブ録音が2曲収録された。ジャケットの「砂漠に列をなして並ぶ赤い球体」はヒプノシスのデザインによる。旧邦題は『エレジー ザ・ナイス・ラスト・アルバム』。
- ^ ジャケットはヒプノシスによる。
- ^ エマーソンはELPの初期のライブではナイスの「ロンド」を頻繁に演奏し、さらに再結成した1990年代のライブでは「アメリカ」も取り上げた。
- ^ 1作目の『キング・プログレス』では、ナイスの「The Cry of Eugene」、3作目の『ラガマフィンズ・フール』ではナイスの「ファイヴ・ブリッジズ」組曲の第三楽章が取り上げられ、後者の改作にはエマーソンが協力した。また4作目の『バンプ・ン・グラインド』ではエマーソンがモーグ・シンセサイザーの貸し出し、音色設定で協力した。
- ^ 当時ジャクソン・ハイツはジャクソン以外のメンバーが相次いで脱退したので活動不能状態に陥っていた。
- ^ エヴリ・ウィッチ・ウェイは1971年の春に解散した。
- ^ 「キース・エマーソン自伝」(ISBN 978-4384057256)によると、エマーソンがモラーツから頼まれて、彼をジャクソンとデヴィソンに紹介した。"Pictures of an Exhibitionist" (ISBN-13: 9-781904-034797) の120ページと121ページには、エマーソン・レイク・アンド・パーマーがロンドンのピカデリー・サーカスにあるパビリオンでコンサートを開いた時に、モラーツがエマーソンの楽屋に押しかけてジャクソンとデヴィソンの近況を尋ねて、エマーソンを苛立たせたという回想があるが、エマーソンがモラーツを二人に紹介したとは記されてはいない。彼は、その約1年後に、ジャクソンからの電話で、二人がモラーツとトリオを形成してトニー・ストラットン・スミスのカリスマ・レコードと契約したことを知ったという。
- ^ 2007年に発表されたライブCD『ライヴ・イン・コンサート:ニューキャッスル・シティ・ホール・1974』では、ナイスの「ダイアモンド・ハード・ブルー・アップルズ・オブ・ザ・ムーン」が取り上げられている。
- ^ ディスク1はエマーソン、ジャクソン、デヴィソンの演奏によるナイスの曲を収録。ディスク2はエマーソンのピアノ・ソロを二曲と、エマーソン、デイブ・キルミンスター(G, Vo)、フィル・ウィリアムス(B)、ピート・ライリー(D)の演奏によるELPの曲を収録。ディスク3はエマーソン、ジャクソン、デヴィソンのインタビューを収録。
- ^ ラスト・ステージであった。
- ^ 別ヴァージョンやアルバム未収録のシングルなどが『オータム'67 – スプリング'68』に収録された。
- ^ アルバム『少年易老学難成』の収録された 「何処から来たのだろう」「陽気なフロイド」の全篇と「リトル・アラベラ」の中間部のリード・ボーカルを担当した。
- ^ 別ヴァージョンやアルバム未収録のシングル、未発表の音源などが『ファイヴ・ブリッジズ』『エレジー』『オータム'67 – スプリング'68』に収録された。
- ^ 『ファイヴ・ブリッジズ』と『エレジー』の2枚組アルバム。
- ^ 彼等の友人だったロイ・ハーパーの同アルバムの収録曲'Hell's Angels'に参加した。
出典
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引用文献
- Emerson, Keith (2003). Pictures of an Exhibitionist. London: John Blake. ISBN 9-781904-034797
- Hanson, Martyn (2014). Hang on to a Dream: The Story of the Nice. London: Foruli Classics. ISBN 978-1-905792-61-0
参考文献
- 吉田弘和 編集『エマーソン・レイク&パーマー: 衝撃のロック・トリオ伝』新興楽譜出版社、1977年。ASIN B000J8VFP2。
- キース・エマーソン『キース・エマーソン自伝』川本聡胤(訳)、三修社、2013年。 ISBN 978-4384057256。
- 黒田史朗『イエス』音楽之友社、1979年10月。 ISBN 978-4276233300。
関連項目
外部リンク
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