キリスト教のオストラコン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 18:06 UTC 版)
「オストラコン」の記事における「キリスト教のオストラコン」の解説
パピルスと同様に、粘土、木材、金属やその他の硬質な素材に記された文は初期キリスト教の文献資料として特に重要である。これらは主にオリエントの国々、特にエジプトで発見されている。最も多いのは、顔料もしくはインクで文字が書かれた粘土もしくは陶片である。最古のキリスト教のオストラコンは、パピルスと同様に、ギリシア語のもので5世紀に遡る。コプト語とアラビア語のオストラコンがこれに次ぐ。青ナイル川のアロア付近の古いキリスト教の黒人王国で話されていた言語で書かれたヌビアのオストラコンのように、一部のテクストは未だに解読されていない。こうした銘文にはギリシア文字が使われ、他の若干の記号も用いられていた。オストラコンの内容には、世俗的なものも教会のものもある。陶片はしばしば、耐久性に欠けるパピルスの代わりに通信に用いられた。受取人が、陶片の裏側に返事を書くことも時としてあった。請求書や領収書といった商業的な目的にも用いられていた。リビア砂漠の聖メナスの街の発掘中にこの種類のオストラコン(5世紀の、ギリシア語で書かれた最古のキリスト教オストラコン)を発見し、大英博物館のH・J・ベルとF・G・ケニヨンが解読した。これらは聖メナスのサンクチュアリでの葡萄栽培について触れたもので、その大部分は、金銭や食料の一種の引換券のようなものであった。通貨はコンスタンティヌス帝が発行したソリドゥス金貨に基づいたものであった。日時はインディクティオ(15年紀)で計算されていた。病身の労働者への援助、低位の聖職者の雇用、労働者への食料の供給方法、それから特にリビア地域における収穫時期に関する記述などが歴史的に重要である。ナイル谷の聖職者と修道院に関する一連のコプト語のオストラコンは特に豊富であり、行政と普通の生活の全ての局面について触れられている。 狭義での教会のオストラコンは新約聖書の引用、祈りの言葉、シナクサリ(英語版)(聖人たちの生涯)の抜粋などからなり、ある程度は典礼的な性質のものである。当時の教会の言語であったギリシア語が、コプト語と並んで良く使われていた。コプト語諸方言の優れた鑑定家であるW・E・クラムが出版したサンプルの中には、6世紀以降の地方での信仰告白に加え、ミサの叙唱とサンクトゥス、聖大ワシリイ聖体礼儀および聖マルコの聖体礼儀の祈り、アスリビスのシェヌテ[訳語疑問点]のディダスカリア(英語版)の一部、ギリシア語による信仰告白、またギリシア語による破門などが含まれている。 典礼歌が書かれたオストラコンはとりわけ注目に値する。これらは今日の賛美歌集のようなもので、この目的にはパピルスの巻物よりもより丈夫な陶片が適していた。木製の本が用いられる場合もあった。クラムにより翻訳されたものの中には、請願者が福音書の1つを暗唱すると約束している聖職授任の請願や、聖別の葡萄酒が完全にもしくは少なくとも4分の3は純粋でなければならないとする布告がそれに対して出されている古代の節酒運動への言及などが含まれている。
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