ガラスの弓をひく落葉が塞ぐ信仰心
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評 言 |
「俳句だけがマンネリズムを遊びごとにして、脱皮されないとすれば亡びるより外ない。文化に従って近代感覚に目覚め、躍進の将来をめざすことが必要である。」とは岩谷孔雀先生がコミュニケイションを業とするA社俳句部の同人誌に賜った序文の一節である。1958年頃のことである。俳句の芸術性を唱導し、人間性を活かす努力こそその根源であるとされた先生の趣旨がその底辺を貫いている。 紅い紅葉を拾う指紋が消された砂 血涙のニュース山は大きく眠っている 殺し屋のあと脚のない虫がなく 毛皮着た女神虫が喰う木像 アロエ噛む月を磨いた雲が去る などの句を残されている。そこにあるものは、五七五の俳句定型へのこだわりからの脱皮、そして短詩型俳句の再構築ということであった。 岩谷孔雀先生は弟子の指導に関しては、ひとり一人の俳句を添削という形で教えてくださった。孔雀先生は虚子に直接、俳号を貰ったという俳人である。1960年頃は、神戸で『極光』という俳誌の主宰をなさっていた。その俳風は五七五の定型に拘ることなく、自由に短詩型文学としての俳句を追求なさっていた。 詩である以上、脚韻、頭韻など詩のリズムについても、さらにはその根源にある「生と死」の問題が詩作の上で、無意識の内にでも採り入れられてなければというのが、先生の意志であった。音楽が音の組み立てで、激しくもなり、穏やかにもなり、あらゆる人間の感情が表現されるように、俳句では『ことば』がその役目を果たす。道具としての『ことば』が豊富でなければどうにもならないし、これまでに採り入れられなかった『ことば』も積極的に、しかも大胆に採り入れることを勧められた先生の意志をこれからも大事にしたい。 写真の短冊は「雲を孕んだ初日海老腰まげる 孔雀」」 |
評 者 |
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備 考 |
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