カリフォルニア水戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/10 14:37 UTC 版)
「オーエンズ・バレー」の記事における「カリフォルニア水戦争」の解説
カリフォルニア水戦争(英語版)も参照 20世紀の初頭、オーエンズ・バレーは地元住民とロサンゼルス市との間の争いの舞台となった。 ロサンゼルス水力電力部(英語版)(LADWP)の最高責任者、ウィリアム・マローランド(英語版)は、オーエンズ川から導水する223マイル(359km)のロサンゼルス上水路を計画し、1913年に完成した。水利権は詐欺的な方法で取得されたため、しばしば水利協同組合は分裂し[訳語疑問点]、隣人どうしが争うこととなった。1924年、地元の農民たちは(水を)購入し続けることへの不満から暴力に訴え、水道施設の一部を破壊した。 最終的にロサンゼルス市はオーエンズ・バレーの121,000ヘクタール以上に渡る土地の水利権の大部分を取得し、オーエンズ湖に流入する水のほとんど全部を上水路へと向けた。この取得は、双方独占に携わっているロサンゼルス市とオーエンズ・バレーの農民たちとの交渉の結果行われた。現在の価格で見積もると、ロサンゼルス市は水1エーカー・フィート当たり8.70ドル(1000立方メートル当たり7.05ドル)を支払うつもりだった。最終的に実際の取引価格の平均は1エーカー・フィート当たり4.00ドル(1000立方メートル当たり3.25ドル)前後となった。次の最善の選択肢[訳語疑問点]は格安で取得した土地を農業用に使い続けることだった。この価格はロサンゼルス市の支払意思額よりも安かったが、オーエンズ・バレーの農民たちは近隣の郡の地価と比較して割増しの土地代金を受け取った。そのうえ、オーエンズ・バレー導水に最も長期間抵抗した農家たちは、ロサンゼルス市に解決の意欲[訳語疑問点]があったため、平均的な農家よりもさらに高い価格で土地を売ることができた。これらの買収の結果、湖はその後完全に干上がり、現在残されたアルカリ平地からアルカリダストの嵐が南の谷を襲っている。 1970年、LADWPはオーエンズ・バレーからの第二水路を完成させた。表流水がさらに導水され、地下水はポンプで汲み上げて導水した。オーエンズ・バレーの泉や湧水は消滅し、地下水に依存していた植物は枯死し始めた。 何年も訴訟が続けられた。1997年、インヨー郡、ロサンゼルス市、オーエンズ・バレー委員会、シエラクラブ、その他の関係当事者は、2003年6月までにオーエンズ川下流に再び水を流すという条件を明記した了解覚書に署名した。LADWPはこの期限を守れず、再度訴えられた。異なる解決法として、今回はカリフォルニア州とロサンゼルス市の間で2005年9月までにオーエンズ川下流に再び水を流すという約束を含んでいた。 2005年2月の時点で、LADWPはこの期限も守れそうにないと発表した。結果的にロサンゼルス市がオーエンズ川下流に水を流す約束を満たしたのは2008年だった。 2004年7月、ロサンゼルスのジェームス・ハーン市長(英語版)は、LADWPのすべての保有地に保全地役権(英語版)を設定することにより、オーエンズ・バレー内の市有地における開発を将来にわたって禁止することを提案した。おそくら過去のLADWPの行為に対する不信のために、2004年10月時点で、インヨー郡当局者は保全地役権の提案に抵抗しているようだった。水と粉塵についての何十年にもわたる激しい論争を終わらせるため、ロサンゼルス市は、オーエンズ・バレーの大気汚染規制当局であるグレートベースン統一大気汚染管理区と市との間の合意にしたがって、乾燥したオーエンズ湖の底から飛来する粉塵を抑制する新しい有機的な方法を2014年に用い始めた。 オーエンズヴァレーとシエラネバダ山脈。
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