カヘティの王
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「ギオルギ8世 (ジョージア王)」の記事における「カヘティの王」の解説
ギオルギは1466年、ジョージア東部における宗教の中心地ボドベ修道院(グルジア語版)にてカヘティの王に戴冠し、ギオルギ1世として、12世紀に滅んだ「カヘティ王国」を復活させた。だがギオルギ1世の王権はなかなか認められず、山岳地帯に追放したディドエティのダヴィトからは身を自由にすることと引き換えに王として承認されたが、カヘティ北部はジョージア王国に服従し続けることを対外的な立場とした。そのためヘヴスレティ(グルジア語版)、トゥシェティ(グルジア語版)、プシャヴィ(グルジア語版)はギオルギを単なるカヘティの領主と見なしていた。これらの領主は、後にギオルギ1世がジョージア王バグラト6世と合意を取り交わしたことで、名目上ギオルギ1世の支配下に入った。 ギオルギ1世はカヘティの独立という考え反抗する上級貴族らに直面したことから、農民階級から村単位の小領主、そしてかつての敵であったジョージア王バグラト6世と同盟を結んだ。バグラト6世は1467年頃にカヘティ王国を独立した王国として承認したが、その引き換えとして、ジョージア王国の王位を主張するコンスタンティネ2世(グルジア語版)との紛争における軍事提携を結んだ。ギオルギ1世とバグラト6世とともにカルトリを侵攻し、コンスタンティネ2世を王国の中心部から追い出し、バグラト6世がトビリシと王冠を奪還することを支援した。バグラト6世はその後、カヘティで抵抗する貴族を捕らえ、ギオルギ1世の権力固めを支援するためジョージア王国軍の分遣隊を派遣した。 1470年にディドエティのダヴィトを王位に就かせようとする反乱があり、ギオルギ1世は貴族の権力を終わらせるためにカヘティの統治システムを改革することを決意した。ギオルギ1世は半自治の公国を廃止し、キジキ(グルジア語版)、エリセニ(グルジア語版)、ツケティ(グルジア語版)、ディドエティ(グルジア語版)、チアウリ(グルジア語版)、シルダ(グルジア語版)、クヴァレリ、マルツコピ(グルジア語版)、グレミ(グルジア語版)、パンキシ(グルジア語版)といった県を設置した。各県には国王によって任命されたモウラヴィ(グルジア語版)(知事)が置かれ、モウラヴィは税金を徴収し首都グレミ(グルジア語版)に報告する責任を負った。こららの知事は定期的に置き換えられ、世襲による貴族の力を廃した。その後ギオルギ1世は軍地組織の改革を行い、王国をサドロショ(グルジア語版)と呼ばれる4つの地区に分割した。各地区では国王が任命した司教が軍隊を率いた。軍が世襲貴族によって率いられるジョージア西部とは大きな違いとなった。 またギオルギ1世は、アラヴェルディ修道院(グルジア語版)の修道院長を主教の地位に引き上げ、主教区を提供し、彼を他の地域の主教たちの長とした。カヘティはジョージア正教会の権威を認めていたが、ギオルギ1世の改革により、カヘティはカトリコス管轄区の自治正教会となった。ギオルギ1世はカヘティ王国の首都をグレミ(グルジア語版)と定めて都市の拡大および強化を図り、ヘレティ(グルジア語版)についてはその名前と自治権を廃止した。これら一覧の改革により、カヘティ王国内では平和と安定を数十年に渡って維持することに成功し、カルトリとイメレティが18世紀まで対応に苦しむことになる反抗的貴族による諸問題を排除した。 カヘティは白羊朝のペルシャと国境を接しており、カヘティを取り巻く国際情勢は複雑なままであった。白羊朝のウズン・ハサンはすぐにカヘティ王国へ侵入し、ヘルキ(グルジア語版)、サグラモ(グルジア語版)、マルツコピ(グルジア語版)、ティアネティ(グルジア語版)を次々と破壊した。ギオルギ1世は平和を確保するため、ウズン・ハサンを宗主国として認めざるを得なくなり、男女の奴隷を毎年納めなくてはならなくなった。1470年代、テュルク人がこの地域を荒らし回ったとき、隣国カルトリは援助を申し出たがギオルギ1世はこれを拒否し、外交手段を通じて王国の平和を確保した。ヴァフシティ・バグラティオニによると、ギオルギはジョージアの他の地域を征服することを試み、人生の残り数年間を費やしたが、その願いが叶うことはなかった。 ギオルギは1476年に死去した。具体的な日付は不明である。カヘティの王冠は、ギオルギ1世が1460年以降に共同王として指名していた第一王子アレクサンドレ1世(グルジア語版)に継承された。
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