カデットD(1979年-1984年)
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「オペル・カデット」の記事における「カデットD(1979年-1984年)」の解説
デビュー以来、コンベンショナルな後輪駆動で通してきたカデットであったが、1974年に登場したフォルクスワーゲン・ゴルフは横置きエンジンの前輪駆動とハッチバックボディという構成を小型大衆車の常識とすることに決定的な役割を果たし、ドイツ国内はもとより世界のベストセラーカーの座をトヨタ・カローラと争う存在となった。この流れはデビュー以来保守的な顧客層に支えられてきたカデットにも波及し、ついに1979年9月に前輪駆動の2ボックス車に変身を遂げた。同じくFRを守り続けたライバルのフォード・エスコートも翌1980年にはカデット同様の変身を遂げてマーク3に発展する。 また、先代とヴォクスホール・シェヴェットではじまった英国ヴォクスホールとの車種統合は最終段階に達し、ヴィヴァが生産中止され、代わってこの代からカデットとバッジ以外まったく同一なアストラが英国で生産されることとなった。 カデット・アストラは前輪駆動の2ボックスになったものの、前輪駆動車がまだ少数派であった日本やアメリカ、ブラジルなどでは旧型にもまだ十分な商品力があると判断され、いすゞ・ジェミニとシヴォレー・シェヴェットは旧モデルが継続生産され、カデットDは「グローバルカー」にはならなかった。また、ヴォクスホールもシェヴェットを並行生産してドイツにも輸出した。 日本人チーフデザイナー・児玉英雄がチーフスタイリストとして担当した車体はVWゴルフより一回り大きく、兄貴分のレコルトEに似たリアクオーター部分の処理を特徴としたが、車体四隅に大きく張り出したタイヤやプラスチック部品の多用によって、従来のオペル車のようなスマートさやゴルフほどの品質の高さが感じられないデザインであった。また、主力はテールゲート付の3ドアと5ドアのハッチバックであったが、保守派のために独立したトランクを持つ2ドア・4ドアも用意され、ワゴン版も3ドアに加えて5ドア版が復活した。エンジンは旧型以来のOHV1,196cc53馬力・60馬力に加え、新開発のSOHC1,297cc60馬力・75馬力の4種類が用意された。また、この当時は横置きエンジン車向けのオートマチックトランスミッションの開発が困難な時代であったため、3速AT版は1981年5月まで一時的に消滅し、4速MTのみが用意された。サスペンションも新設計され、フロントはマクファーソン・ストラット、リアはトレーリングアームとビームアクスルによる特殊な半独立型が採用された。 1981年には1,598cc90馬力型、82年にはそのディーゼル版54馬力、1983年には1,796cc115馬力エンジンを搭載し、流行のエアロパーツを装着して「GT/E」が復活した。 キャラバン(廉価版は丸型ライト) 5ドアのリアビュー
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