カデットDとは? わかりやすく解説

カデットD(1979年-1984年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 04:15 UTC 版)

オペル・カデット」の記事における「カデットD(1979年-1984年)」の解説

デビュー以来コンベンショナル後輪駆動通してきたカデットであったが、1974年登場したフォルクスワーゲン・ゴルフ横置きエンジン前輪駆動とハッチバックボディという構成小型大衆車常識とすることに決定的な役割果たしドイツ国内もとより世界のベストセラーカーの座をトヨタ・カローラと争う存在となった。この流れデビュー以来保守的な顧客層支えられてきたカデットにも波及し、ついに1979年9月前輪駆動の2ボックス車に変身遂げた同じくFR守り続けたライバルフォード・エスコートも翌1980年にはカデット同様の変身遂げてマーク3発展するまた、先代とヴォクスホール・シェヴェットではじまった英国ヴォクスホールとの車種統合最終段階達しヴィヴァ生産中止され、代わってこの代からカデットバッジ以外まったく同一なアストラ英国生産されることとなった。 カデット・アストラは前輪駆動の2ボックスになったものの、前輪駆動車がまだ少数派であった日本アメリカブラジルなどでは旧型にもまだ十分な商品力があると判断されいすゞ・ジェミニとシヴォレー・シェヴェットは旧モデル継続生産され、カデットDは「グローバルカー」にはならなかった。また、ヴォクスホールもシェヴェットを並行生産してドイツにも輸出した日本人チーフデザイナー児玉英雄がチーフスタイリストとして担当した車体VWゴルフより一回り大きく兄貴分レコルトE似たリアクオーター部分の処理を特徴としたが、車体四隅大きく張り出したタイヤプラスチック部品多用によって、従来オペルのようなスマートさゴルフほどの品質の高さが感じられないデザインであったまた、主力テールゲート付の3ドア5ドアハッチバックであったが、保守派のために独立したトランクを持つ2ドア4ドア用意されワゴン版も3ドア加えて5ドア版が復活したエンジン旧型以来のOHV1,196cc53馬力60馬力加え新開発のSOHC1,297cc60馬力75馬力4種類用意された。また、この当時横置きエンジン車向けのオートマチックトランスミッション開発困難な時代であったため、3速AT版は1981年5月まで一時的に消滅し4速MTのみが用意された。サスペンション新設計され、フロントマクファーソン・ストラットリアトレーリングアームとビームアクスルによる特殊な半独立型が採用された。 1981年には1,598cc90馬力型、82年にはそのディーゼル54馬力1983年には1,796cc115馬力エンジン搭載し流行エアロパーツ装着して「GT/E」が復活したキャラバン廉価版丸型ライト5ドアのリアビュー

※この「カデットD(1979年-1984年)」の解説は、「オペル・カデット」の解説の一部です。
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