カデシュの戦いの講和とは? わかりやすく解説

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カデシュの戦いの講和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 02:13 UTC 版)

平和条約」の記事における「カデシュの戦いの講和」の解説

最も古い講和記録古代エジプトヒッタイトの間でカデシュの戦い紀元前1274年頃)の後に交わされたものであるシリア地方めぐって二つ帝国長年摩擦続け、ついに戦い起こった消耗著し4日間の戦いの後どちらも決定的な優位得られないまま勝利を宣言した。しかし解決なしには数年後にも戦争が起こる可能性があり、両国にその余裕がなかったため、一応の講和残して戦争終結した。 この講和エジプト文字ヒエログリフ)とヒッタイト文字楔形文字によるアッカド語)による互い言語バージョン作られ両者とも現存している。両者言語平和条約作られるのは今日に至る方式であり、ほとんどの内容はまった同じだが、読み比べる互いに都合のいい部分見られるヒッタイト側の文章では「エジプト請う講和至ったと書かれ、エジプト側では逆のことが書かれている。この条約は銀板の形で交わされエジプト持ち帰った銀板の内容カルナック神殿刻まれた。 エジプトラムセス2世ヒッタイトハットゥシリ3世敵対状態はこの条約終結した18条ある条文のうち、第1条は平和を謳い互い神々もそれを望んでいると宣言している。その後内容国境の確定相互不可侵など近代講和にもあるよう内容だが、敵対行為終結のみを取り決める近代平和条約上の内容がここにはある。すなわち、第三の敵がどちらか攻めた場合、または内戦起きた場合両国共同防衛に当たるという同盟関係作るという内容である。また難民引渡し義務付け一切危害加えないという条件課されている。これを最初引渡し条約と見る者もいる。ほかにも条約破られ場合罰則もある。 これは国際関係研究史上重要な資料であり、国際連合本部にもレプリカ展示されている。

※この「カデシュの戦いの講和」の解説は、「平和条約」の解説の一部です。
「カデシュの戦いの講和」を含む「平和条約」の記事については、「平和条約」の概要を参照ください。

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