カデットB(1965年-1973年)
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「オペル・カデット」の記事における「カデットB(1965年-1973年)」の解説
販売面で成功を収めたヨーロッパ車としては異例に早いタイミングでのモデルチェンジは、車体寸法を拡大して4ドア版を追加することが主目的であった。ドイツ市場では隣国のフランスと違い、ベーシックカーは2ドアが一般的で、4ドアモデルの設定が殆ど見られなかったが、この頃になると4ドアの利便性が認識され、オペルもユーザーニーズに応えた形である。 デザインはAと非常によく似ていたが、ホイールベースが95mm延長され、トレッドも拡大されていた。車体形式は2ドアと4ドアのセダン、クーペ、キャラバンがあった。エンジンも1,078ccに拡大され、45馬力と圧縮比を高めた55馬力の「S」の2種類が用意され、後者には前輪ディスクブレーキが標準装備された。1965年には60馬力のクーペモデル・「ラリー・カデット」が追加され、艶消し黒塗りのボンネット、サイドストライプ、キャップレスホイールの装いはその後の小型大衆車のスポーティーモデルの流行となった。 1967年のマイナーチェンジでは後輪サスペンションがパナールロッド付きの4リンク・コイルに改められ、兄貴分のレコルト譲りのSOHC1,698cc75馬力や1,897cc90馬力を搭載する高性能版、同年に登場した上級版姉妹車・オリンピアと同じセミファストバック型の2・4ドアセダン(LS)、5ドアワゴン、新しい2ドアクーペが追加され、車種体系が非常に複雑になった。 1971年にはベースモデルのエンジンが1,196cc60馬力に変更され、オリンピアが新設計の上級大衆車・アスコナとして独立したことから1,700cc版が廃止された。1,900cc版は多数がアメリカに輸出され、ビュイックの販売網を通じて売られ、トヨタや日産が躍進するまでの期間、アメリカの輸入車ランキング第二位の座を保っていた。オペル・GTのベースモデルでもあった。 1972年にはモデルライフ末期を迎えて販売が低迷していたビートルを遂に抜き、旧西ドイツのベストセラーカーの座に着いた。 ラリー・カデット キャラバン ラリー・カデットとは別スタイルのクーペ カデットBの車体バリエーション
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