セガ・マークIII
別名:セガ・マーク3,マーク3,セガ・マスターシステム,マスターシステム,Sega Master System
【英】SEGA MarkIII
セガ・マークIIIとは、セガ・エンタープライゼス(現セガ)が1985年に発売した家庭用ゲーム機の名称である。SG-1000、および、SG-1000IIの後継に当たる機種である。
セガ・マークIIIは、CPUには、Z80Aを搭載し、ソフトウェアの供給媒体には、ICカード型ROMのマイカードとロムカセットの2種類を採用している。ロムカセットのスロットには、SG-1000用、および、SG-1000II用のロムカセットを挿入して使用することができる。また、マイカードのスロットには、セガ・マークIII専用のソフトウェアを挿入して使用する。
セガ・マークIIIは、アメリカや欧州各国では、「Sega Master System」(セガ・マスターシステム)の名称で発売された。なお、Sega Master Systemは、1987年に、日本でも発売されている。日本で発売されたSega Master Systemでは、連射装置やFMサウンドユニット、3D-グラス端子などが追加されている。
セガ・マークIIIの主なゲームタイトルには、「ハングオン」、「スペースハリアー」、「アフターバーナー」などが挙げられる。
※画像提供 / 株式会社セガ ©SEGA
参照リンク
[セガハード大辞典]セガマーク3 - (セガ)
[セガハード大辞典]マスターシステム - (セガ)
マークIII
(マーク3 から転送)
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マークIII(マークスリー、Mark III, Mk-III)
- 1 マークIIIとは
- 2 マークIIIの概要
マーク3
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「アントマン (スコット・ラング)」の記事における「マーク3」の解説
スコットがアベンジャーズの内乱の末にマーク2を紛失したと思い込んだピムによって新開発されたアントマン・スーツ。デザインはマーク1を彷彿とさせるが、現代的でよりタイトなフィット感あるイメージとなっており、胸部はアリの顔面を意識したものとなっている。全ての基本機能はマーク2までのスーツと同等であるが、最新テクノロジーで作られたため性能はよりアップしており、スーツ本体と一体になったヘルメットには、首周りの後部への自動折り畳み・装備時の自動展開機能が付与され、着脱の利便性も向上した。
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マーク3
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「コルト・オフィシャルポリス」の記事における「マーク3」の解説
1960年代、コルト社はマーク3(MK III)シリーズの1つとして、新型のオフィシャルポリスを発表した。マーク3シリーズはコルト社が従来発表してきた製品の改良および低価格化を目的とした製品群であった。マーク3シリーズはオリジナルの拳銃とは違い、Jシリーズとして知られる新型のフレームを使用していた。商業的に失敗した為、わずか3年後にはシリーズの展開そのものが撤回された。
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マーク3
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「ファルコン (マーベル・コミック)」の記事における「マーク3」の解説
サノスの群勢との決戦後から、キャプテン・アメリカとなる直前までに装備・使用したEXO-7ファルコン。赤の配色がより一層増えており、胴体部には猛禽類を模したシンボルがデザインされている。“ザ・ブリップ”後のアメリカ軍の技術官では修復が困難らしく、サムは戦闘で一部破損した本機を自ら修理しており、具体的な製造者は明らかにされていない。
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マーク3(1970 - 1973年)
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「トライアンフ・GT6」の記事における「マーク3(1970 - 1973年)」の解説
マーク3は1970年から発売された。ベースのスピットファイアマーク4にあわせてボディ全体が修正された。 1973年にはリアサスペンションがさらに改良され、機能的でより経済的なスウィングスプリングレイアウトを採用した。さらにブレーキサーボも加えられ、シートもビニールから布に材質が変更された。他にも広範囲なオプションが用意された。 走行性能に関してはマーク2と大差は無く、最高速度188km/h、0-60mph加速は10.1秒と、ライバルとしていたMGB GTともそれほど性能差はなかった(最高速度169km/h、0-60mph加速約13秒)。しかし運悪く、アメリカでの最終モデルは低オクタン価ガソリンに対応しきれず、圧縮比が低下して、走行性能も低下した。 マーク2以降のGT6に対する評判は上々だったが、GT6の販売台数は見込んでいたより低いもので、市場においてはMGBのほうがGT6より総合的に勝っていた。また、コンバーチブルの生産を希望する声もあったが、最後までコンバーチブルの生産は行なわれず、ついに1973年に生産を終了した。 GT6は今でも人気は高く、しばしばアメリカやイギリスなどのクラシックカー走行会でもその姿を見かけることが多い。パーツも多くのトライアンフ車と共有されており、GT6の現存率は他のクルマと比べても比較的高い。また、コンバーチブルバージョンは最後まで生産されなかったが、オーナーの中には自分で改造してコンバーチブルとした者もいる。
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マーク3 (1980–1986)
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「フォード・エスコート」の記事における「マーク3 (1980–1986)」の解説
三代目エスコートはプロジェクトチームリーダーErick A. Reickertの名前からコードネーム"エリカ"として開発され、1980年9月にデビューした。この代から北米でもエスコートが製造・販売されることになったが、設計チーム組織と米欧の諸規則の違いから、共通部分は限られることとなった。 MK3は旧態化した従来の設計から一転、フォルクスワーゲン・ゴルフを強く意識した最新式の設計となり、横置きエンジン前輪駆動(FF方式)、ハッチバックボディ、新設計のSOHC式 「CVH」エンジン(1300/1600cc、1100ccは従来のケント・エンジン)、全輪独立サスペンションを持ち、1981年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。 グレード構成はポピュラー、L、GL、ギア、そしてスポーティなXR3であった。 しかし、英国の自動車ジャーナリズムによって、前輪にポジティブキャンバー、後輪にネガティブキャンバーを与えられたMK3のサスペンション設計が不整路面での荒い乗り心地と不安定な操縦性を招くと評されるようになり、1983年にはサスペンション設計の手直しが行われた。スポーティ版のXR3は当時人気が高かったVWゴルフGTIの対抗馬として登場、当初は燃料噴射エンジンも5段ギアボックスも持たなかったが、派手なスポイラーを持ち目立つ外観であったため、ボーイズ・レーサーとして人気を博した。1983年には燃料噴射エンジンのXR3i、ホットモデルRS1600iが、1985年にはRSターボが追加される。またMK3から独フォード開発の1600ccディーゼルエンジン版も登場した。 ボディは当初3/5ドアのハッチバックと3ドアワゴンだけであったが、1983年には5ドアワゴン、サルーン版 オライオン、そしてカルマン製のカブリオレが追加された。 MK3になっても特に英国での販売は好調で、1982年には コーティナに代わって販売台数ナンバーワンの座を獲得した。
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