エリア8 八幡とは? わかりやすく解説

エリア8 八幡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:01 UTC 版)

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事における「エリア8 八幡」の解説

No. 名称 所在地 概要 8-1 官営八幡製鐵所 The Imperial Steel Works, Japan (ID1484-022) 福岡県北九州市 明治20年代急増した鉄鋼需要を補うため、1897年筑豊炭田隣接し誘致活動活発だった八幡製鉄所設置することが決定するドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH)社に設計依頼し技術指導受けた4年建設期間を経て1901年2月東田第一高炉火入れが行われ稼働開始する。しかし、トラブル資金難により翌1902年7月には休止余儀なくされたため、釜石田中製鉄所日本初コークスによる銑鉄生産成功させた野呂景義再建託される野呂高炉改良新たなコークス炉の建設行い1904年7月から本格稼働再開した。これにより、日本高炉操業技術確立され日本産業近代化重工業化)が達成される製鉄所1930年代にかけて拡張され周辺にも多く産業集積し北九州工業地帯主要拠点となった事業所内にあり秘密保持懸念があることや老朽化していることから、いずれの施設見学できない。登録面積は1.71 ha緩衝地域33.81 ha)である。 八幡製鐵所 旧本事務所 1899年建設され赤煉瓦組積造建物製鐵所技術者による設計骨組クイーンポストトラス組み煉瓦積みイギリス式一方屋根和式瓦葺1922年まで本事務所として使用された後、鉄鋼研究所として使用された。見学不可だが、2015年4月眺望スペース設けられ遠景を見ることが可能となり、登録後から個人利用限り写真撮影認められている。 八幡製鐵所 修繕工場 1900年建設され鉄骨造建物設計及び使用鋼材はGHH社による。現存する日本国内最古鉄骨建築物3回に亘り増築されたが、使用され鋼材ドイツ製から次第日本製へと変わり日本製鉄技術発展する過程を示すものとなっている。現在は新日鉄住金主要な協力会社一つである山九により、製鉄所使用する機械修繕部材の製作が行われ、現在も稼働中見学不可八幡製鐵所 旧鍛冶工場 1900年建設され鉄骨造建物設計及び使用鋼材はGHH社による。製鉄所使用する鍛造品製造が行われ、大正時代現在の場所に移転してからは製品試験所として使用された。現在は創業時からの資料保管する史料となっている。見学不可8-2 遠賀川水源地ポンプ室 Onga river Pumping Station (ID1484-023) 福岡県中間市 鉄鋼生産必要な工業用水遠賀川上流から取水八幡製鐵所送水する施設で、1910年建設された。鉄骨骨組イギリス式煉瓦積み操業開始時は蒸気ポンプボイラー使用されたが、現在は電気ポンプになっているボイラー室ポンプ室建屋沈砂池現存し、現在も使用されている。内部見学不可だが、外観最短数十mの距離から見学可能。登録面積は1.38 ha緩衝地域55.89 ha)である。

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