エリア8 八幡
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「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事における「エリア8 八幡」の解説
No. 名称 所在地 概要 8-1 官営八幡製鐵所 The Imperial Steel Works, Japan (ID1484-022) 福岡県北九州市 明治20年代に急増した鉄鋼需要を補うため、1897年、筑豊炭田に隣接し誘致活動が活発だった八幡に製鉄所を設置することが決定する。ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH)社に設計を依頼し、技術指導を受けた。4年の建設期間を経て、1901年2月に東田第一高炉に火入れが行われ稼働が開始する。しかし、トラブルや資金難により翌1902年7月には休止を余儀なくされたため、釜石田中製鉄所で日本初のコークスによる銑鉄生産を成功させた野呂景義に再建が託される。野呂は高炉の改良と新たなコークス炉の建設を行い、1904年7月から本格稼働を再開した。これにより、日本の高炉操業技術が確立され、日本の産業近代化(重工業化)が達成される。製鉄所は1930年代にかけて拡張され、周辺にも多くの産業が集積し、北九州工業地帯の主要拠点となった。事業所内にあり秘密保持に懸念があることや老朽化していることから、いずれの施設も見学はできない。登録面積は1.71 ha(緩衝地域33.81 ha)である。 八幡製鐵所 旧本事務所 1899年に建設された赤煉瓦組積造の建物。製鐵所の技術者による設計。骨組はクイーンポストトラス組み、煉瓦積みはイギリス式の一方、屋根は和式の瓦葺。1922年まで本事務所として使用された後、鉄鋼の研究所として使用された。見学不可だが、2015年4月に眺望スペースが設けられて遠景を見ることが可能となり、登録後から個人利用に限り写真撮影が認められている。 八幡製鐵所 修繕工場 1900年に建設された鉄骨造の建物。設計及び使用鋼材はGHH社による。現存する日本国内最古の鉄骨建築物。3回に亘り増築されたが、使用された鋼材がドイツ製から次第に日本製へと変わり、日本の製鉄技術が発展する過程を示すものとなっている。現在は新日鉄住金の主要な協力会社の一つである山九により、製鉄所で使用する機械の修繕や部材の製作が行われ、現在も稼働中。見学は不可。 八幡製鐵所 旧鍛冶工場 1900年に建設された鉄骨造の建物。設計及び使用鋼材はGHH社による。製鉄所で使用する鍛造品の製造が行われ、大正時代に現在の場所に移転してからは製品試験所として使用された。現在は創業時からの資料を保管する史料室となっている。見学は不可。 8-2 遠賀川水源地ポンプ室 Onga river Pumping Station (ID1484-023) 福岡県中間市 鉄鋼生産に必要な工業用水を遠賀川上流から取水し八幡製鐵所に送水する施設で、1910年に建設された。鉄骨骨組、イギリス式の煉瓦積み。操業開始時は蒸気ポンプとボイラーが使用されたが、現在は電気ポンプになっている。ボイラー室・ポンプ室の建屋と沈砂池が現存し、現在も使用されている。内部は見学不可だが、外観は最短数十mの距離から見学可能。登録面積は1.38 ha(緩衝地域55.89 ha)である。
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