ウィークス・アイランド形成の経緯
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「ウィークス・アイランド」の記事における「ウィークス・アイランド形成の経緯」の解説
ウィークス・アイランドがどのような諸力によって形成されたのか、19世紀当時は謎であった。なぜなら、北西から南東に向かってジェファーソンアイランド(Jefferson Island、別名Anse la Butte)、エイブリー島、ウィークス・アイランド、コートブランシェ・アイランド (Cote Blanche Island)、ベル・アイル (Belle Isle) という5つの良く似たアイランド(ファイブアイランズ)が70kmに渡って直線上に並んでいたからだ。標高0mの広大な低湿地になぜこのような構造が形成されたのか。 現在では、ウィークス・アイランドを含む岩塩ドームは、ルイジアナ州からテキサス州にかけて海岸線付近に広がる第四紀に形成された堆積層、その堆積層の直下にあるジュラ紀に由来する岩塩の一部が浮力によって上昇し、形成されたと結論付けられている。岩塩自体は1億年以上前に形成されたことが花粉の調査によって明らかになっている。ファイブアイランズを含む一群の岩塩ドームは、湾岸岩塩ドーム群と呼ばれている。岩塩ドーム群は海岸線をはさんで内陸部に100km、メキシコ湾側に100kmの範囲にわたって広がり、総数は300を超える。これらの岩塩は、99%以上が塩化ナトリウムからなり、浅海域における蒸発残留によって形成された。岩塩層の規模は平均厚300m、南北900km、総面積55万平方kmに及ぶと考えられている。これは日本全土の面積の1.4倍に達する規模だ。岩塩層の底部は大陸棚直下で2万mに達する。 ファイブアイランズの謎が解け始めたのは、1862年、ウィークス・アイランドの13km北西に隣接するエイブリー島の地下に岩塩が偶然発見されたことがきっかけだ。1901年、ウィークス・アイランドの北西60kmにあるアイランドと似た地形、ジェニングス丘陵から南ルイジアナ初の原油が発見されたことにより、岩塩ドームに関する研究が急速に立ち上がった。 岩塩ドームが形成された原理を密度差と浮力によって説明したのはスウェーデンの化学者アレニウスである。1912年のことであった。その後、ドイツでは岩塩の造構運動を、Salztektonikという術語で表現するようになる。ドイツのF. Trusheimは、1957年の論文でHalokinese(岩塩構造地質学)という用語を提唱した。1968年のBraunstainとO'Brienの論文によって岩塩ドームの形成はダイアピリズムの一種としてより広く捉えられ、その後、岩塩テクトニクスとしてより広範囲な研究テーマとなった。北部ドイツの岩塩層では、岩塩層の上部境界が周期的に膨らんで岩塩枕を形成し、これが浮き上がって傘の小さなキノコのように浮き上がって岩塩プラグを形成し、最終的には岩塩プラグ同士が融合して岩塩壁を形作る発達様式が解明された。条件が適していればイランに見られるような岩塩火山が形成されることもある。ルイジアナの岩塩ドームは個々に独立しており、岩塩プラグの段階に留まっていると考えられる。 岩塩テクトニクスの基本的な前提は、岩塩が非圧縮性であること、さらに温度の上昇によって粘性が急速に低下することである。岩塩の密度は2.0g/cm3から2.2g/cm3、一方ウィークス・アイランド周辺の泥を中心とした堆積物の密度は1.6g/cm3である。この状態では岩塩の密度の方が高く、当然岩塩に浮力は働かない。ところが、堆積物の密度は地表からの深さによって増大し、約1000mで2.2g/cm3に達し、8000mでは2.5g/cm3を超える。一方、岩塩は圧縮をほとんど受けないため、密度が変化しない。地表から深くもぐるほど地温が上昇し、100度において岩塩が流動性を持つに至る。
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