ウィリアム・ローレンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/02/11 06:06 UTC 版)
ウィリアム・ローレンス(ウイリアム・ロレンスなどとも)は、英語の人名。
- 1 ウィリアム・ローレンスとは
- 2 ウィリアム・ローレンスの概要
ウィリアム・ローレンス(WilliamLaurence)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:34 UTC 版)
「テメレア戦記」の記事における「ウィリアム・ローレンス(WilliamLaurence)」の解説
テメレアを担う主人公。男性。1774年生まれで、第1巻開始時点では30~31歳である。アレンデール卿の末子であり、二人の兄がいる。職業選択の自由を与えようとしない父親に背いて12歳から海軍に入隊し、運に恵まれて昇進を重ね、若くしてリライアント号の艦長の地位に上り詰めた。生真面目で義理堅く、紳士に相応しい言動を常に心がけており、それによって同僚から堅物扱いされることも多い。奴隷制度反対派のアレンデール卿を父に持つため、父同様に奴隷制度を快く思っていない。 1805年にリライアント号の艦上で孵化したテメレアと出会い、以後、空軍へと転属する。当初はテメレアの担い手になったことを嘆いていたが、テメレアと心を通わせるうち、次第に分かち難い絆で結ばれていく。 空軍転属後、軍規や決まりごとよりも適切な現場判断を重んじる空軍の自由な気風に戸惑っていたが、その合理的な考え方に感化され、空軍の同僚たちとの間に深い信頼関係が生まれた。ジェーン・ローランドとは恋人関係にある。 ドーヴァーの戦いの後、中国からテメレアの返還要請を受け、外交使節と共に中国を訪れる。皇帝の一族のみが担うことを許されたセレスチャル種であるテメレアの担い手として相応しい身分を得るため、形式上、皇帝の養子となることを受け入れた。また、中国ではドラゴンが人間と同等に扱われていることを知り、テメレアは中国で暮らしたほうが幸せなのではないか、またイギリスでのドラゴンの待遇改善を目指し始めたテメレアにどのように接すれば良いか、葛藤を抱えるようになる。 1807年、イギリス海軍省が立案した、疫病を使った無差別なドラゴン殺戮作戦に背き、テメレアと共に敵国フランスに治療薬を届けた。しかし、帰国後に反逆罪で囚われ死刑宣告と共に空軍を追放されてしまうが、英国本土上侵攻を果たしたナポレオン軍を打ち破るため戦闘に駆り出され、シューベリネスの戦いにおける戦功によってオーストラリア大陸の英国領への流刑へと減刑される。
※この「ウィリアム・ローレンス(WilliamLaurence)」の解説は、「テメレア戦記」の解説の一部です。
「ウィリアム・ローレンス(WilliamLaurence)」を含む「テメレア戦記」の記事については、「テメレア戦記」の概要を参照ください。
- ウィリアム・ローレンスのページへのリンク