イタリアへの旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:22 UTC 版)
木馬の計略によってトロイアが陥落した際、アイネイアースは父アンキーセースを背負い、幼いアスカニオスの手を引いて燃える都から脱出した(以下、ラテン語表記で紹介する)。 トロイアの船団はデーロス島で祖先の地を目指せとの託宣を得て、初めはトロイアの始祖テウクロスの来たといわれるクレータ島に上陸した。しかしクレータではなく同じくトロイアの祖先ダルダノスが住んでいたとされるイタリア半島が目指すべき場所であることを知り、改めて海に出た。アエネーアースはメッシナ海峡を避けシケリア島を時計回りに迂回するコースを取りイタリアを目指したが、途中寄港したドレパヌム(ドレパノン)で父アンキーセースが病死した。 その後女神ユーノー(ヘーラー)が起こした嵐のためにコースを大きく外れるが、ネプトゥーヌス(ポセイドーン)に救われ北アフリカに漂着する。この地でアエネーアースはカルターゴー(カルタゴ)の女王ディードーと出会い、互いに愛し合うようになる。しかし、これを見たユーピテル(ゼウス)がメルクリウス(ヘルメース)を使わしてトロイアの再興のためにイタリアへ渡るよう警告する。神意を受けアエネーアースはカルタゴを去り、残されたディードーは自殺した。 イタリア半島に到着後アエネーアースはクーマエ(キューメー)において、巫女シビュラ(シビュレー)の導きによって冥界に入り、そこで亡き父アンキーセースと再会した。アンキーセースは、アエネーアースの子孫が未来のローマの英雄となることを告げた。冥界から戻ったアエネーアースは、北上し新たなトロイアを築くべき土地であるラティウムに上陸した。 この地で現地の王ラティーヌスの娘ラウィーニアと婚約をするが、それまでラウィーニアと婚約していたアルデアの王トゥルヌスはこれに反対しトロイア人とトゥルヌスの率いるルトゥリー人との間で戦いが起こった。『アエネーイス』では周辺のラティウムの都市もトゥルヌス軍に加わり、ラティーヌスも自ら望まぬながらもトロイア人に敵対した。さらにトゥルヌスにはエトルリアの王メーゼンティウスも助勢した。一方アエネーアースはラティウム人と敵対していたアルカディア人を率いるパッランテウム(パランテイオン)の王エウアンデル(エウアンドロス)を味方とし、その息子パッラス(パラース)が軍勢に加わった。また僭主であったメーゼンティウスを追放したエトルリアの諸都市もアエネーアースに助勢した。こうした両者の間で激しい戦いが行なわれ、パッラスやメーゼンティウスなど多くの将が命を落とした。最終的にはトゥルヌスとアエネーアースとの一騎討ちでアエネーアースがトゥルヌスを殺し、戦いは終わった。アエネーアースはラウィーニアと結婚し新市ラウィニウムを築いた。 『アエネーイス』の影響でこの伝承が一般的となっているが、ティトゥス・リウィウスによると細部が異なる。アエネーアースはラティウム到着後、ラティーヌスからラウィーニアを妻としてもらい同盟を結んでいる。これを不服としたトゥルヌスがアエネーアースとラティーヌスに戦いを挑むが、この戦いはトロイア方が勝利する。しかし勝利したアエネーアース側もラティーヌスをこの戦いで失った。敗れたトゥルヌスはメーゼンティウスの率いるエトルリア人の助けを得、再びトロイア人とラティウム人に戦いを挑む。この戦いでも再びアエネーアース側が勝利したが、アエネーアース自身は戦死したとしている。他方、オウィディウスの伝えるところによれば、アエネーアースはその死期に臨んでウェヌスによって身を浄められて神となったとされる。
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