アフリカの年とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 生活 > 時間 > > アフリカの年の意味・解説 

アフリカの年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 15:28 UTC 版)

アフリカの年(アフリカのとし、: Year of Africa)は、西暦1960年の有名な呼び方である。シャルル・ド・ゴール大統領の措置によって独立が認められた旧フランス植民地の13カ国を主に、アフリカ大陸で17カ国が植民地からの独立を達成し、脱植民地化が進んだ。1960年のアフリカの急激な政治的変化は新たな時代の到来を予感させた。

パン・アフリカ主義の発展に指導的役割を果たしたガーナクワメ・エンクルマ大統領(1961年3月8日撮影)
1960年1月のアルジェリアアルジェリア独立戦争中にアルジェ市内に築かれたバリケード。
1960年3月の北ローデシア。統一民族独立党(UNIP)がイアン・マクラウド植民地大臣の訪問に際して抗議運動を行った。

発端

1960年2月3日ケープタウンを訪れたイギリスハロルド・マクミラン首相は「変化の風がこの大陸を通じて吹いている。我々がそれを好むかどうかに関わらず、このナショナリズムの高まりは政治的な事実である。我々はその事を事実として全て受け入れなければならないし、国の政策においても考慮に入れていかなければならない」という部分で知られる有名な演説を行い、アフリカ大陸の多くで起こりかけている独立を目指す動きに反対しない考えを示した[1]。マクミラン首相はまた、この時に南アフリカ連邦アパルトヘイトの継続についても批判している[1]。以後、アフリカの脱植民地化を予測するアフリカの年の概念は世界のマスメディアの注目を集めるようになった[2]

これより前の1959年12月10日フランスシャルル・ド・ゴール大統領は彼らが選択した場合、フランス共同体の加盟地域の独立を認める考えを表明した[3]。1960年6月4日には第5共和制憲法の第86条の改正が採択され、フランス共同体の構成国はフランスとの関係を断絶しないままの独立が可能となった[4]。この改正によって独立の動きが加速化した結果、1960年には13カ国がフランスからの独立を達成した。

1960年に独立を達成した国

黄色が1960年に独立を達成した国
1960年1月26日。ブリュッセルで開催された円卓会議に出席したパトリス・ルムンバ

アフリカの年となった1960年にアフリカ大陸の独立国は9カ国(人口9500万人)から一気に26カ国(人口1億8000万人)にまで増加した[5]。独立を達成した全ての国でパン・アフリカ主義が強調された[6]

太字は旧フランス植民地

1960年のアフリカに関するその他の主な出来事

シャープビル虐殺を描いた絵
アベベ・ビキラ(1968年撮影)

南アフリカ

この年の3月21日に南アフリカのヨハネスブルグ近郊で人種別に隔離するパス法に反対する黒人の群衆の抗議運動に対して警察官が発砲して多数の死傷者を出すシャープビル虐殺事件が発生した[9]。この出来事は時々、アパルトヘイトに対する世界的な闘争の始まりとして引用されている[10]

アベベ・ビキラ

1960年夏季(ローマ)オリンピックにおける陸上競技マラソン種目ではエチオピア出身のアベベ・ビキラが優勝を果たし、サハラ以南のアフリカ出身者としては初のオリンピック金メダリストとなった。アベベの活躍はアフリカ黒人の自尊心を高め、新しい時代のアフリカの象徴となった[11]

国際連合

10月にはガーナクワメ・エンクルマ大統領が国際連合総会における演説の中でアフリカの自由を主張し、主に南アフリカに対して白人至上主義を終結させるよう呼びかけた[12][13]

我々の時代の一つの基本的事実は、アフリカの覚醒が現代世界にもたらす重大な影響である。アフリカのナショナリズムの潮流はあらゆるものを押し流し、この大陸に行なわれてきた長年の不正義や犯罪からの回復を植民地保有国に要求するものである。しかし、アフリカは復讐を求めない。悪意を抱く事はアフリカの本性に反している。200万人以上の人民は声を揃え、非常な力をもって叫ぶ。彼らは何と言うのだろうか? 我々は抑圧者の死を求めないし、奴隷所有主の不運な末路も願わない。我々は正当で前向きな要求を主張する。その声は海に山に、丘に谷に、砂漠に、人類の住む広大な土地に響き渡り、アフリカの自由を求める。アフリカは自由を望んでいる。アフリカは自由でなければならない。これは単純な叫びだが、これを無視しがちな人たちに強い警告を与える信号でもある。

12月14日に国際連合総会は植民地独立付与宣言を採択した。この宣言文では「全ての人々が自己決定権を持っている」としており、外部の圧力によってそのルールを構成するのは人権侵害であると断言している。反対票無しで可決され、7つの宗主国(アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガルスペイン、南アフリカ)は棄権した[14]

関連項目

脚注

  1. ^ a b 1960-2010: 50 years of 'African independences” (英語). On Africa. 2014年3月2日閲覧。
  2. ^ 1960: The Year of Africa” (英語). CBC. 2014年3月2日閲覧。
  3. ^ Guy De Lusignan (英語). French-speaking Africa Since Independence (Library of African Affairs). Pall Mall Press. p. 24. ISBN 978-0269993268 
  4. ^ 渡邉啓貴. フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ. 中公新書. p. 107-108. ISBN 978-4121014153 
  5. ^ Salvatore Foderaro (英語). Independent Africa. Colin Smythe Ltd. p. 53. ISBN 978-0901072313 
  6. ^ Guy De Lusignan (英語). French-speaking Africa Since Independence (Library of African Affairs). Pall Mall Press. p. 75-77 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 1960: The year of independence” (英語). FRANCE24.com. 2014年3月2日閲覧。
  8. ^ 50th Anniversary of the 'Year of Africa' 1960” (英語). Pan-African News Wire. 2014年3月2日閲覧。
  9. ^ Sharpeville: Legacy of a massacre” (英語). Al Jazeera. 2014年3月2日閲覧。
  10. ^ Sharpeville 50 years on: 'At some stage all hell will break loose” (英語). The Guardian. 2014年3月2日閲覧。
  11. ^ Abebe Bikila: the glory trail” (英語). The Guardian. 2014年3月2日閲覧。
  12. ^ Imagining nation, state, and order in the mid-twentieth century” (英語). Kronos 37(1). 2014年3月2日閲覧。
  13. ^ Ghana Celebrates 50 Years of Independence: Pan-African Leader Kwame Nkrumah In His Own Words & His Son Gamal Nkrumah Reflects On His Father’s Legacy” (英語). Democracy Now. 2014年3月2日閲覧。
  14. ^ George Houser (英語). No One Can Stop the Rain: Glimpses of Africa's Liberation Struggle. New York: Pilgrim Press. p. 61. ISBN 978-0829807950 

「アフリカの年」の例文・使い方・用例・文例

  • アフリカの年という年
Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



アフリカの年と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アフリカの年」の関連用語

アフリカの年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アフリカの年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアフリカの年 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS