アイン・ランドとの親交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 16:08 UTC 版)
「イザベル・パターソン」の記事における「アイン・ランドとの親交」の解説
「世の中のたいていの害は善人たちが成すのであって、事故や過失や怠慢によって起きるのではない。それは気高い理想に動機づけられ有徳な結果をもたらすと善人たちが信じ、長きにわたり倦まず続けた、意図的な行動の結果なのだ。〔……〕現在も世界の多くの地域で行われているように、そして過去にもしばしば行われてきたように、何百万人という人々が虐殺され、拷問が実行され、圧制が政策となる時、それは常にきわめて多くの善人たちが価値を認める目的のために、彼らの要請に従い実行されるのであり、彼らの直接行動によって実行されさえするのである。」 -パターソン『機械の神』 1930年代末までに、パターソンは自分と見解を共有する若いライター(多くは「ヘラルド・トリビューン」の同僚)たちのグループのリーダーになっていた。その中には後に「タイム」誌の記者・編集者になるサム・ウェルズ(Sam Welles)もいた:339–40。 若き日のアイン・ランドもその一人だった。パターソンとランドは多くの議論を重ねた。ランドはアメリカ合衆国の歴史と政体に関する知識の多くをパターソンから学び、パターンは『機械の神』に結実するアイディアをランドから得た。パターソンは、ランドの倫理学の独自性を認め、ランドへの1940年代の手紙で「あなたは自分の考えが新しいことに気づいていないように見えます。あなたの考えはニーチェでもないしマックス・シュティルナーでもない。〔……〕彼らが考える自我はぐるぐる回るだけの言葉で組み立てられていましたが、あなたが考える自我は一つの実体であり、一人の人であり、具体的現実の中で機能する一つの生き物です」と書いた。 パターソンとランドは互いの著書の宣伝に努め、長い手紙を何年にもわたりやり取りした。手紙ではしばしば宗教や哲学にも触れた。無神論者のランドは、理神論者で資本主義を宗教に結びつけようとするパターソンの試みに批判的だった。ランドは資本主義と宗教は両立しないと信じ、パターソンと論争し続けた。1948年、カリフォルニア州のランドの自宅を訪れたパターソンは、作家のモリー・ライスキンド(Morrie Ryskind)に関するコメントや、実業家のウィリアム・C.マレンドア(William C. Mullendore)らランドの客人への無礼な態度でランドの怒りを買い、以後二人の手紙のやり取りは途絶えた。 同様に、パターソンの友人で政治的な同盟者だったローズ・ワイルダー・レーンとも1946年に決裂した:313。 『機械の神』は、アイン・ランドの小説『水源』およびローズ・ワイルダー・レーンの『自由の発見』(The Discovery of Freedom)と同じ年に出版された。作家のアルバート・ジェイ・ノック(Albert Jay Nock)はレーンとパターソンの著書を「今世紀アメリカで個人主義の哲学について書かれた中で唯一知的に理解可能な著作」と書いた。ジャーナリストのジョン・チェンバレン(John Chamberlain)は、社会主義から「より古いアメリカ思想」であるリバタリアニズムおよび保守主義に自分を最終的に「転向」させた思想家としてパターソン、レーン、およびランドの3人を挙げた。ケイトー研究所の上級研究員ジム・パウエル(Jim Powell)はパターソン、レーン、およびランドを現代アメリカリバタリアニズムの中で最も重要な3人の女性と見なしている。
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