中薗英助(なかぞの・えいすけ)
本名中園英樹。1920年(大9)、福岡県生まれ。中学時代には渡辺啓助に西洋史を教わる。
1941年(昭16)、引田春海主宰の同人誌「燕京文学」に参加し、1942年(昭17)、「北支那」に掲載した「第一回公演」が北支邦文化賞を受賞。
1950年(昭25)、「烙印」を「近代文学」に掲載し、三島由紀夫に認められる。
1957年(昭32)、「彷徨のとき」を出版。
1959年(昭34)、初の探偵小説「死電区間」を「中央公論文芸特集」に発表。
1963年(昭38)に刊行した「密航定期便」が、1964年(昭39)に第17回日本推理作家協会賞の候補となる。
1963年(昭38)、AA(アジアアフリカ)作家会議に参加し、1965年(昭40)にモスクワにて日ソ文学シンポジウムに出席し、1974年(昭49)にAA作家会議を離脱するまで、世界中を駆け巡る。さらに「記録芸術の会」にも参加。
1980年(昭55)に刊行した「闇のカーニバル」で、1981年(昭56)の第34回日本推理作家協会賞評論部門その他を受賞。
1989年(平1)に「中央公論文芸特集」に発表した「彷徨湖」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1992年(平4)、「北京飯店旧館にて」で第44回読売文学賞受賞。
1992年(平4)に「文学界」に発表した「北京の貝殻」は日本文藝家協会の「文学 1993」に収録される。
1992年(平4)に「問題小説」に発表した「上海のローレンス」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
1995年(平7)、「鳥居龍蔵伝」で第22回大佛次郎賞受賞。
2002年(平14)、肺炎により死去。
日本のスパイ小説の開拓者である。
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