ちくごこくふあととは? わかりやすく解説

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筑後国府跡

名称: 筑後国府跡
ふりがな ちくごこくふあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 久留米市合川町
管理団体
指定年月日 1996.03.26(平成8.03.26)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.02.06
解説文: 筑後国府跡は、筑紫平野の南辺を西流し筑後川流れ大きく南へ変える下流左岸久留米市合川町から御井町にかけての標高十数メートルの低台地上に位置する
 昭和36年九州大学により同町字阿弥陀行われた発掘調査により、築地跡、掘立柱建物跡遺構や瓦、円面硯等の遺物発見され同地区奈良時代大規模な官衙営まれたことが確認された。
 昭和47年からは久留米市教育委員会発掘調査実施しこれまで時期異にする大規模な官衙跡を4ヶ所で確認し国府三遷する様相明らかにしている。それらは所在する字名をもとに、古官国府第1期国府7世紀末~8世紀前葉)、枝光国府第2期国府8世紀中葉9世紀)、朝妻国府第3期国府10世紀11世紀中葉)、横道国府第4期国府11世紀後葉13世紀)と仮称されている。また、調査では、第2期国府時期営まれ国庁同様の規模を持つ国司館跡と推定される遺構詳細明らかになった。今回指定を図るのは、第1期国府推定国庁跡一部第2期国府に伴う推定国司館跡の一画である。
 国司館跡は、第2期国府国庁跡合川町阿弥陀)の東南100メートルにあり、小谷はさんで国庁跡対置する。第2期国府営まれる8世紀中葉以降4期にわたる返還認められるが、とくに最終期にあたる9世紀24半期から第44半期にかけての時期顕著な施設営まれている。
 筑後国府は古代から中世前期まで国府移転存続考古学的に実証され希有の例であると共に国庁国司館地区との対になる様相解明され、しかも国司制度上の大きな変化進行する時期国司館跡の実例示した点でも極めて貴重な例である。よって、史跡指定しその保存を図るものである
今回追加指定をしようとするのは、Ⅰ期国庁よりもさかのぼ時期建物である。筑後国府の発掘調査ではこれまでにも、7世紀中頃から後半にかけての遺構数多く確認され国府成立以前官衙性格施設存在推定されてきた。このたび宅地造成に伴う発掘調査により、梁間3間、桁行5間、床面積63平方メートルで南に廂もしくは目隠し塀を伴う掘立柱建物と、同じ規格床面積109平方メートル四面廂をもつ掘立柱建物検出された。直接的に時期を示す遺物出土していないが、いずれも7世紀中頃考えられる東西棟で、前者から後者へと建替えられている。これに伴う建物区画施設などは明らかではないが、重要な官衙施設としての機能をもつ建物であった考えられる
これらの掘立柱建物は、筑後国府の成立過程を知る上で極めて重要な遺構であり、追加指定し保護万全図ろうとするものである
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