その後の評判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:56 UTC 版)
「ランスロット・ブラウン」の記事における「その後の評判」の解説
ブラウンの評判は彼の死後急速に低下した。イギリスの風景庭園は、手つかずの自然に含まれる劇的な対立や畏敬の念を催させるような力感を再現できなかったからである。ブラウンのランドスケーピングの特徴である調和と平穏に対して反動が来るのは、避けがたい事態だった。ロマン派の世代(例えば、 リチャード・ペイン・ナイトとユーヴドール・プライス)が理想的な風景の条件とした崇高 [サブライム] な戦慄の感覚は、ブラウンが作り出した風景にはなかった。ロマン派世代が絵画的なインスピレーションの源泉としたのは古典派のクロード・ロラン ではなく、バロック画家のサルヴァトール・ローザであった。19世紀の間に彼は広く批判されたが、20世紀までに彼の評判は再び上昇した。Tom Turnerは、Christopher Husseyの The Picturesque(1927)におけるBrownの肯定的な説明に先行するMarie-Luise GotheinのHistory of Garden Art においてブラウンの才能が好意的に評価されたことがその原因だとしている。Dorothy Stroudは、ケイパビリティ・ブラウンに関する初の完全なモノグラフを作成、それまで伝統的にブラウン作とされてきた作品に加えて、カントリーハウスのエステートオフィスからの文書を根拠にブラウンの作品リストを拡充した。そしてウィリアム・ギルピンのような後のランドスケープアーキテクトは、ブラウンの「自然な曲線」がフランスの庭園で一般的であった直線と同じくらい人工的なものであったという意見を述べるようになった。 ナサニエル・ダンスによるブラウンの肖像画(1773年頃)は、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに収蔵されている。彼の作品はしばしばフランスのジャルダン ・ア・ラ ・フランセーズにおける大御所ランドスケープ・アーキテクトであるアンドレ・ル・ノートルと比較され、より好意的に評価されてきた。 そうして彼は「先行するどのランドスケープアーキテクトよりも金を稼ぎ、名誉を獲得し、より広い敷地面積を『改善』した」とされた。 2016年にはブラウン生誕100周年を祝う祭りが開催された。 Capability Brown Festival 2016 では、ブラウンの作品に関する大量の新しい研究が発表され、祝賀の一部として英国中で500以上のイベントが開催された。 王立郵便局は2016年8月にブラウンを記念する一連のランドスケープの切手を発行 。 The Gardens Trustは、 ヒストリック・イングランドからの支援を受けて、2017年10月にVulnerability Brown:Capability Brown Landscapes at Risk を出版し、これらの風景の存続が直面している問題と解決策を報告した。 2018年5月29日火曜日の晩祷式の後、 Westminster Abbeyの回廊の中庭で、同大寺院の首席牧師であるJohn Hall猊下によって、Lancelot 'Capability' Brownに捧げる噴水が設置された。噴水は中庭に昔から存在する井戸の上に置かれている。この仕掛けは大寺院で Surveyor of the Fabric を務めるPtolemy Deanによって設計され、庭師 Alan Titchmarshの助けを借りて造作された。噴水は彫刻家のBrian Turnerが制作した鉛製のものである。
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