特定非営利活動法人かけこみ寺
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縁切寺
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 01:07 UTC 版)
縁切寺(えんきりでら)とは、江戸時代において、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。江戸幕府公認の縁切寺には鎌倉の東慶寺、群馬(旧、上野国新田郷)の満徳寺がある。駆込寺・駆け込み寺(かけこみでら)・駆入寺・駈入寺(かけいりでら)とも呼ばれる。
- ^ 五十嵐富夫『駆込寺』塙書房、1989年、p.160
- ^ 井上禅定1955 p.141
- ^ 高木侃『三くだり半と縁切寺 江戸の離婚を読みなおす』 講談社新書、1992年、p.166
- ^ 井上禅定 『東慶寺と駆込女』 有隣堂、1995年、pp.19-22
- ^ 佐藤孝之『駆込寺と村社会』吉川弘文館、2006年、p.148
- ^ 佐藤孝之『駆込寺と村社会』吉川弘文館、2006年,pp.1-5
- ^ 高木侃『泣いて笑って三くだり半』教育出版、2001年、p.148
- ^ 高木侃『三行半と縁切り寺 江戸の離婚を読み直す』吉川弘文館、2014年、p172以下,p.201
- ^ 高木侃『三行半と縁切り寺 江戸の離婚を読み直す』吉川弘文館、2014年、p.37以下
- ^ 高木侃『三行半と縁切り寺 江戸の離婚を読み直す』吉川弘文館、2014年、p.36.p.201
- ^ 『群馬県史 通史編6 近世3 生活・文化』 p.194
- ^ .『群馬県史 通史編6 近世3 生活・文化』 p.195
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