一夫多妻
★1.一人の男が大勢の女を妻として、自分の邸内に住まわせる。
『金瓶梅』 大金持ちの薬屋・西門慶は、正妻から第6夫人までを邸内に住まわせ、さらに女中や人妻にも手をつけていた。妻妾たちは相互に同盟関係を結んだり、対立したりする。西門慶が第6夫人李瓶児との間にもうけた息子は、第5夫人潘金蓮の飼い猫にひっかかれ、それがもとで死ぬ。李瓶児は怒りと悲しみで、まもなく病没する。西門慶も、潘金蓮に媚薬を多量に飲まされたため、おびただしい精液を排出し、33歳で死ぬ。
『源氏物語』「少女」~「初音」 光源氏は35歳の8月に、故六条御息所の旧邸および隣接する敷地、あわせて4町を占める広大な六条院を完成させ、紫の上・明石の君・花散里とともに住んだ〔*六条御息所の娘・梅壺中宮も、六条院内に住んだ〕。翌年正月元日の夜は、光源氏は明石の君のもとで過ごした。彼はまた、旧邸二条東院に、空蝉・末摘花を住まわせた。
『王様と私』(ラング) 1862年。シャム王の子供たちの家庭教師として、イギリス人女性アンナが招かれる。驚くべきことに、王には106人もの子供がいて、さらに近々あと5人誕生する予定だった。宮殿には何十人もの妃たちが、仲良く暮らしていた〔*シャム王国存続のためには西欧文明を受け入れねばならぬ、という葛藤の中で、王は心臓を病んで急死する。王の死後もアンナはシャムにとどまり、王子王女の教育にあたる〕。
『長恨伝』(陳鴻) 唐の時代。玄宗皇帝には、3人の夫人、9人の嬪(ひん)、27人の世婦(せいふ)、81人の御妻(ぎょさい)がおり、さらに後宮の才女たち・音楽隊の妓女たちもいた。しかし楊貴妃を宮殿に迎えてからは、玄宗皇帝は彼女1人をもっぱら寵愛し、他の女たちには見向きもしなくなった。
『熊野の御本地のさうし』(御伽草子) 天竺・摩訶陀(まかだ)国の善財王には千人の后がいた。しかし1人も王子が生まれなかった。善財王は、千人の后のうち、999人の后の所へは行幸したが、残りの1人、五衰殿のせんかう女御のことを忘れていた。ある日、善財王はせんかう女御のことを思い出す。訪れてみるとたいへんな美女だったので、善財王は女御を寵愛し、やがて女御は王子を身ごもった〔*類話の『神道集』巻2-6「熊野権現の事」では、五衰殿の女御は醜女から美女に変身する→〔醜女〕3〕。
*阿育王には8万4千人の后がいた→〔妻殺し〕2bの『今昔物語集』巻4-3。
『黒い十人の女』(市川崑) テレビ局プロデューサー・風松吉には、妻・双葉の他に、未亡人・三輪子、女優・市子など9人の愛人がいた。女たちは風を愛しつつも「いっそ風が死ねば良い」と思い、10人の女が集まったところで、双葉が風を射殺する。女たちは驚き、気の弱い三輪子は後追い自殺する。しかしこれは空砲を用いての芝居で、風は無事だった。双葉は風と離婚し、市子が風を譲り受けて同棲する。女たちは風に未練があり、皆で風の生活費を出そうと言う。風は仕事にも行けず、市子の家に閉じ込められて泣く。
『緋色の研究』(ドイル) ルーシーは幼い頃、モルモン教徒たちに命を救われ、以後、彼らとともに暮らした。美しく成長したルーシーに、4人の妻を持つスタンガスンと、7人の妻を持つドレッバーが、求婚する。ルーシーは恋人ジェファースンと逃げるが、捕らわれて、ドレッバーと無理やり結婚させられる。ルーシーは悲嘆し、結婚後1ヵ月もしないうちに死んでしまう。ジェファースンは復讐を誓ってスタンガスンとドレッバーを追い、20年後に彼らを殺す→〔文字〕6b。
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