あかつちやまこふんとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > あかつちやまこふんの意味・解説 

赤土山古墳

名称: 赤土山古墳
ふりがな あかつちやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 天理市櫟本町
管理団体 天理市(平5・7・9)
指定年月日 1992.12.15(平成4.12.15)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 奈良盆地南東部にあたる天理市南部から桜井市にかけては、西殿塚古墳(現手白香皇女衾田陵)を中心とした大和古墳群行燈山古墳(現崇神天皇陵)・渋谷向山古墳(現景行天皇陵)に代表される柳本古墳群、さらに南方箸墓古墳(現倭迹々日百襲姫命陵)を最大規模とする纏向古墳群など、出現期から前期想定される大型前方後円墳前方後方墳多数分布し初期古代国家成立考え上で極めて重要な地域として著名である。
 赤土山古墳は大和古墳群の北、奈良盆地東山麓から西方向かって延び丘陵が、最も大きく張り出した屋根筋上にあり、前方後円墳5基と4050基の円墳方墳からなる古墳時代前期から中期中心とした東大寺山古墳群の中の主要古墳1つである。眼下流れ高瀬川谷筋との比高差は26メートルで、古墳からは奈良盆地のほぼ全域遠望する視界開け遠く吉野山岳地帯まで見渡すことができる。
 この古墳は、昭和62年から平成2年まで、天理市教育委員会によって発掘調査実施されその結果後方後端造出し有するきわめて特異な前方後方墳であることが明らかとなった古墳外表には全面わたって葺石施され段築構造で、墳丘現存103・5メートルである。後方部は長軸方向長さ44メートル、幅約33メートル、高さ約10メートル規模で、後方部を正方形に近い形にする一般的墳丘異なり、やや長方形築造し、さらに四隅隅丸形に整形するなど、典型的な前方後円墳比べる特異な形状示している。また、後方後端造られ現存長約10メートル、高さ約3・5メートル二段築成の造出し部は、旧地からしてさらに6~7メートル長かった推定され、本来の墳丘規模も110メートル前後復元される前方部二段に築成されているが、明瞭に墳形観察できるのは上段のみで、下段不整形をなす。長軸長約49・5メートル先端最大幅69メートル、くびれ部最大幅35メートルである。また、前方部先端隣接する円墳との間に幅約7メートル深さメートルの浅い堀割があり、基底部より積上げられた葺石認められた。
 墳丘周辺には、旧地形を造成して高さの異ないくつもテラス形成され後方後端前方部何面の墳丘裾で検出され葺石区画した特殊遺構前方部北の墳丘遺構後方南東隅の墓道がつくられ、さらに、古墳築造後に埋葬施設設置されるなど、さまざま施設置かれ複雑な造作山裾までおよび、古墳景観具体的に把握することができる。
 出土遺物には土師器埴輪がある。前者墳丘下の腐食土層から検出され古式土師器で、後者墳丘取り巻円筒埴輪を主に、家形埴輪埴輪・鶏埴輪短甲埴輪〓(*1)形埴輪などの形象埴輪である。形象埴輪は墓道が墳丘取り付く左右に集中し種類ごとに分けられ樹立され形跡がある。
 以上のように、赤土山古墳は出土遺物などから古墳時代前期頃の築造考えられ外部施設を含む細部形態を非常によくとどめ、築造当初様相具体的にとらえることのできる古墳として貴重である。さらに、櫟本古墳和爾下神古墳東大寺山古墳前方後円墳主流とする古墳群中にあって、本古墳のような古墳含まれることは、南方大和古墳群における下池山古墳柳本古墳群における櫛山古墳などにも共通して見られる現象であり、出現期から前期古墳中心とする奈良盆地頭部古墳群が、画一的形成されたのではなかったことを示すものであり、このことは、初期古代国家成立考え上で極めて重要な要素であると考えられる
 よって、史跡指定し、その保存図ろうとするものである



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「あかつちやまこふん」の関連用語

あかつちやまこふんのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



あかつちやまこふんのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS