『SIREN』における羽生蛇村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/07 14:32 UTC 版)
「羽生蛇村」の記事における「『SIREN』における羽生蛇村」の解説
作中では、村全域が異界に取り込まれた影響で、土石流災害が発生した1976年の羽生蛇村と2003年現在の羽生蛇村がところどころで融合している。※は作中にて1976年時のものが登場する地区。 上粗戸(かみあらと)/大字粗戸(おおあざあらと) ※ 2003年時の羽生蛇村における中心的な市街地。区画整備前の1976年時は大字粗戸。村中心部を流れる眞魚川沿いでは護岸工事が行われている。記念物として眞魚岩(まないわ) 別名「天降りの神石」と呼ばれている三角錐の隕石が存在。 1976年時では羽生蛇村商店街として、大通り沿いに理髪店や食堂などの商業施設が集中していた。2003年時には中央交差点を中心にコンビニエンスストアや公園などが整備されている。なお、上粗戸内に存在する民家「六角家」「石川家」はいずれも実在するラーメン店の店名に由来している。 下粗戸(しもあらと)/大字波羅宿(おおあざはらやどり) ※ 区画整備前の1976年時は大字波羅宿。1976年以前には棚田状の土地に民家が密集する耶辺(やべ)集落が存在したが同年の土砂災害で壊滅したため、2003年時にはその危険性から無人化している。旧日本軍防空壕が残っていたが、1975年の地盤沈下で消滅した。地区内に存在する「吉村家」「中島家」「高谷家」「川崎家」はすべて実在するラーメン店からとられている。 刈割(かるわり) 名前の由来は、「カルワリオの丘」。体験版での名称は「棚田」であった。棚田状の畑が存在するが大部分が耕作放棄されており、墓標が点在している。北側は禁足地の不入谷(いらずたに)に直通している。広大かつ起伏の多い地形のために、マップ制作の段階で制作スタッフでも把握が困難であったため全長3メートルにおよぶ粘土模型が作成された。 不入谷(いらずたに) 刈割の北に位置する丘の上の地区。684年に堕辰子が降臨した場所とされ、明治期に入るまで禁足地であった。眞魚教の教会「不入谷教会」なる西洋風の建物があり、求導師の家系である牧野家および不入谷家も存在する。 田堀(たぼり)※ 『SIREN』では木造2階建ての日本家屋の廃屋が存在するのみ。2003年時では民家は存在していない。 比良境(ひらさかい) 名前の由来は、「黄泉比良坂」。土砂災害以前には地上2階建ての鉄筋コンクリート製病棟二棟からなる旧宮田医院があった。 蛭ノ塚(ひるのつか) 比良境地区内の峠。村の外縁部にあたり、県道333号線が通っている。水蛭子神社(みずひるこじんじゃ)があるが、76年の時点ですでに信仰が廃れているため荒廃している。一階建ての民家が1軒のみ存在するが、廃墟化している。 合石岳(ごうじゃくだけ) ※ 羽生蛇鉱業所有の羽生蛇鉱山が存在。主に錫が産出されていたが、災害発生前の1960年代に鉱量の枯渇で閉山。山麓の蛇頭峠(じゃこうべとうげ)には眞魚川水門(別称羽生蛇水門)があり、1976年以前のものと災害後再建された2003年時のものがある。作中で登場するのは1976年時のもの。 蛇ノ首谷(じゃのくびたに) 蛇頭峠付近に存在する地区。眞魚川沿いにあり、保安林に指定されている折臥ノ森(おりふしのもり)の対岸に鉱山関連の選鉱所といった施設がある。 折部(おりべ) 村の北部、下粗戸の西に位置。村の過疎化でクラス編成が小規模になった木造二階建ての村立羽生蛇小学校折部分校が存在する。 上三隅(かみみすみ) 羽生蛇村の隣接自治体。三隅郡所属。 西ヶ原(にしがはら) 神代家の住所とされる地区。作中には地名のみ登場し、不入谷付近に存在すること以外は明らかにされていない。
※この「『SIREN』における羽生蛇村」の解説は、「羽生蛇村」の解説の一部です。
「『SIREN』における羽生蛇村」を含む「羽生蛇村」の記事については、「羽生蛇村」の概要を参照ください。
- 『siren』における羽生蛇村のページへのリンク