『植物誌』
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「レオンハルト・フックス」の記事における「『植物誌』」の解説
1542年の本草書『植物誌』(De Historia Stirpium Commentarii Insignes , 『新植物誌』、『薬草誌』とも)で、フックスは植物について簡潔に説明し、ディオスコリデス、プリニウス、ガレノスなどギリシャ・ローマの古典に拠りながら薬効を説明し、どんな病気に効くか記した。また、植物の形態に注目して、薬草以外の植物も取り上げ、植物学の確立に貢献した。 『植物誌』は、ドイツ産の植物約400種と、外国産の植物約100種が掲載された。そのうち約40種は初出で、トウモロコシやトマトなどアメリカ原産の植物も5種収録されている。ラテン語と数カ国語の植物名、形態、産地、採集最適時期、気質(当時の医学では、薬草には熱・冷・湿・乾の4つの気質があると考えられていた)、古代の文献に書かれた薬効が記載された。植物の説明は簡潔すぎることも多く、ディオスコリデスの『薬物誌』そのままの内容も多かった。難しい専門用語の意味を一覧にしたが、これは初めての植物用語解だった。 植物の図版は、職人のアルブレヒト・メイヤーとハインリヒ・フュッルマウラー、木版彫刻師のヴァイド・ルドルフ・スペクルらが作成した美しい木版画で、512枚が添付されて、その後の植物誌のスタイルのモデルとなった。図版は空想や転写によらず、実際の植物を基に製作された。また、当時の本草書では、画家が勝手に絵を変更し、実際役に立たないことが多くあったため、フックスはそうした改変がないように目を光らせて、画家に細かい指示を与えた。図版がその植物の典型的な姿になるよう注意し、見本に特有の特徴は排除した。また、実際に見極めるときに役立つよう、一本の植物に花と果実を一緒に描かせることもあった。 ディオスコリデスの『薬物誌』に掲載された植物の名称は、古代と当時のドイツで異なることが多々あり、実用的な本草書として使うには不正確になっていた。フックスは、『薬物誌』の植物が正確にどれなのか確定し、古代ギリシャ・ローマの植物名を定着させようとしたが、ドイツから出たことがなく、ギリシャの植物を直接見たことがなかったため、研究は順調とはいかなかった。フックスの努力と、多少の幸運もあり、大半の植物を確認した。 『植物誌』刊行後、フックスはドイツ語訳、フランス語訳を出版し、さらなる研究を進めた。『植物誌』増補版のために原稿を書きため、その図版は400を超えていたが、出版業者が亡くなり、高価な本草書の出版を引き受ける業者はあらわれなかった。1566年にフックスは亡くなり、あとには原稿が残された。
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