『仮面ライダーストロンガー』関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:37 UTC 版)
「荒木しげる」の記事における「『仮面ライダーストロンガー』関連」の解説
俳優業をやり始めて間もない頃、履歴書を持って子供向け番組の主役オーディション会場へ向かい、そこでカメラテストを受け、渡邊亮徳の目に止まり、『仮面ライダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』『コンドールマン』の中で、どれか好きな物を選ぶように言われ、仮面ライダーしか知らなかったこともあり「仮面ライダーをやりたい」と返答。これにより、仮面ライダーストロンガー/城茂役に選ばれた。 空手や柔道(初段)、フットボールの経験があり主演に抜擢され、年下だが大野剣友会の代表である岡田勝から「初めてとは思えないぐらい勘がいい」と評されていた。また、宮内洋と同じくノースタントで危険なシーンも全部自分で演じきった。危険なアクションを行う際は、岡田が宮内や藤岡弘を引き合いに出して煽ったが、後日嘘であったことを明かされた。岡田は荒木がやれと言われたものを断らなかったことを感心したと荒木に告げ、荒木もその言葉に感激したという。 二輪免許は撮影開始直前に取得したが、運転自体は中学生時代から父親のバイクを乗り回していた。『ストロンガー』で初めて乗ったモトクロスタイプのバイクに面白みを感じ、よく空き時間にスタントの人間と岩山に登って転び、監督から怒られていたという。細い山道で後ろに子供を乗せて走るシーンの撮影では、反対から走ってきたジープを避けるためとっさに脇の崖を登り、無事に回避したこともあった。 『ストロンガー』制作発表時には(俳優転向間もない事もあって)「演技の引き出しがないので、どんどん地を出してやりたい」と語っている。演じた「城茂」が自分の性格と違い過ぎて荒い台詞回しが多かったが、優しい面を出そうと思うようになり、番組後半では優しい面を見せるようになった。共演した小林昭二には、しばしば食事に連れていってもらったと語っている。 『ストロンガー』の終了を持って仮面ライダーシリーズが一旦終了した際は、作品に参加できたことに感謝をすると同時に、それぞれ活躍していた先輩仮面ライダー俳優たちの姿を見て、ヒーローを卒業することへの寂しさを感じつつ、これを糧として今後を頑張るという新たな心構えを抱いたという。後年のインタビューでは、『ストロンガー』での経験が、時代劇でも役立ったことを述べている。 1997年に腸閉塞および肺炎で長期入院を余儀なくされた際、病室に若い医師や看護婦が押しかけてサイン攻めにあったことがある。理由は、担当医が『ストロンガー』を見て育った世代で、自身が荒木の担当であることを仲間の医師に噂したためであり、その医師たちが自身を憧れのヒーローとしてみている姿に感激し、「このような体験は仮面ライダーを演じた自分たちだけだと思う」と感じたという。 大野剣友会の当時のスーツアクター面々と佐々木剛、速水亮、高杉俊介と共にライダー関係のイベントに出演。舞台上で短い殺陣と「変身」を披露した。ストロンガーの変身後を披露したのは中屋敷哲也であったがストロンガーの前口上のアテレコは荒木が行った[要出典]。
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