『ドラゴン怒りの鉄拳』関連
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「橋本力 (野球)」の記事における「『ドラゴン怒りの鉄拳』関連」の解説
『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーと共演することになったきっかけは、勝新太郎が『新座頭市 破れ!唐人剣』(1971年、安田公義監督)で王羽(ジミー・ウォング)と共演したことからだった。勝が王羽と親しくなり、王羽がゴールデン・ハーベストを通して、「今度アメリカから来た凄いやつが香港で出た一本目が、100万ドルの興行収入を得た。その第2弾を作りたいので、明治時代の悪い日本人の役の俳優を紹介してくれ」と勝に依頼。 これを受けた勝から、いきなり電話で「おい、これから麻雀やるから3万円持ってすぐ来い」と呼び出された橋本は、麻雀の誘いかと思ったが、3万円の意味が分からなかった。が、勝の誘いなので断るわけにいかず赴くと、「おい、実は香港に行ってほしいんだ」と言われた。電話で言われた3万円は渡航費だった。橋本は驚いたが、そのまま勝のロングカットの吹き替えを担当していた勝村淳と2人で香港へ向かった。広東語もできず、前知識もないままの渡航だったという。 不安な気持ちで香港に着くと、「橋本力・勝村淳大先生歓迎」とした幟が立っており、大映調布撮影所時代に日本の映画を学ぶため助監督をしていた人物が出迎えてくれた。この人が滞在中は通訳兼世話係を務めてくれたので、少し安心できたという。次に撮影所で羅維(ロー・ウェイ)監督に会ったが、「スケールの大きい大物だなと思った」という。 つぎに主演のブルース・リーと会ったが、大変に歓迎してくれたという。その印象として「凄い敏捷(びんしょう)な感じ。ものすごくキビキビした感じの礼儀正しい人だった」と語っている。映画自体は香港映画の通例として脚本も台本もなく、「とにかく悪役なんだ、お前はブルース・リーがやる役の仇! 仇! 仇の人間なんだ」とそれしか指導がなかった。セリフも先述の通訳から聞いた内容を自分で日本語にあてはめたといい、映画の内容は全く把握できなかった。 この映画では日本人が袴を前後逆にはいているが、橋本がこれを指摘しても衣装係が「こっちのほうがいいから」と押し切ってしまった。悪役で眼鏡をかけた柔道の先生は明治大学出身で、日本語が堪能だったという。 ブルース・リーとの立ち回りでは、橋本の側は勝村が殺陣をつけ、ブルース・リーのほうは自分流の形があるので、それを受けるだけなので特に苦労はなかったという。刀の構えは、「一番目立つ立ち回り」ということで示現流を使っている。リーは自分の立ち回りに関してはかなり監督に注文をつけていて、監督よりリーの主張のほうが強かったという。リーとロー・ウェイは仲が悪かったというが、橋本は特に2人のケンカなどは見なかったという。 撮影では、クライマックスの立ち回りだけで丸2日かかった。午後1時から深夜11時までセットに缶詰めになり、外に出られたのは夕方の1時間、食事のときだけだった。リーのパンチやキックが間違って当たったことは一度もなかったという。鈴木(橋本)がリーの蹴りでふっとぶ場面は、ジャッキー・チェンが吹き替えている。橋本はこれを知らなかったが、後年、ジャッキー・チェンの映画が日本で封切られた際に、娘がこれを知り、「パパそんなに偉かったの」と教えてくれたという。 撮影での香港滞在期間は2週間ほどだったといい、ギャラは勝プロから支払われた。映画自体は、ブルース・リーが亡くなってから日本で公開されたときに初めて観たそうで、「香港では人気あるけど日本でやるとは思ってませんでした」という。
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