『タイム』誌編集長
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「リチャード・ステンゲル」の記事における「『タイム』誌編集長」の解説
2006年、ステンゲルは再びタイム社に復帰し、今度は同誌の編集長(マネージング・エディター)に就任した。2006年5月17日にタイム社の編集局長のジョン・ヒューイによって就任が発表され、2006年6月15日に同誌の第16代編集長に正式に就任した。ステンゲルは、世界最大級の雑誌である『タイム』誌とそのオンライン版のTime.comのほか、タイム・ブックス、タイム・フォー・キッズを監督した。 ステンゲルが最初に取り組んだのは、2007年初頭に『タイム』誌の店頭販売日を金曜日に変更したことであった。これに続いて、グラフィックデザインの野心的な刷新や雑誌の内容の変更を実施した。これらに関しては、彼は雑誌をより精選されたものにして、読者に「未消化の情報」ではなく「知識」を提供したいと考えていたと述べた。彼は戦争や政治に関する報道を増やし、『タイム』誌の編集の性格をより重視したものにした。編集長に就任した最初の年、ステンゲルはこの年のパーソン・オブ・ザ・イヤーを「あなた」とすることを決定した。これは「ユーザー生成コンテンツの生成者」という意味であったが、多くのメディアで報道され、批評の対象となった。2010年には、ソーシャルメディア関連の人物として、Facebook創設者のマーク・ザッカーバーグをパーソン・オブ・ザ・イヤーに選んだ。 2008年、ステンゲルは『タイム』誌の象徴である表紙の赤の縁取りを変更することを承認した。これは赤の縁取りの採用以来2度目のことだった。環境に焦点を当てた特集号で、縁取りを緑に変更した。この表紙は、ジョー・ローゼンタールの写真『硫黄島の星条旗』を改変して星条旗を木に置き換えたもので、一部の退役軍人グループから批判を受けた。この表紙についてステンゲルは、「地球温暖化と気候変動に対抗するためには、第二次世界大戦の遂行と同じくらいの努力が必要だ」との信念を述べた。 彼の指揮の下、『タイム』誌は、世界の重要な出来事を報道してきた。イラク戦争の報道では、彼は社説で、「目を背けない」ことを人々に思い起こさせることの重要性を説いた。2008年の大統領選挙の後、次期大統領に選出されたバラク・オバマを、2008年のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出した。2010年12月の『タイム』誌の表紙記事では、ウィキリークスのスポークスマンであるジュリアン・アサンジにSkypeでインタビューを行い、アサンジはヒラリー・クリントン国務長官の辞任を求めた。 ステンゲルは、2010年11月に『ニューズウィーク』誌の2010年の「パワー50」リストで41位にランクインした。また、CNNの『アメリカン・モーニング(英語版)』やMSNBCの『モーニング・ジョー(英語版)』などの番組にも定期的に出演し、同誌のプロモーションを行った。 2012年には、Time.comのBeyond 9/11: Portraits of Resilienceのエグゼクティブ・プロデューサーとしての仕事が評価され、ニュース&ドキュメンタリー・エミー賞を受賞した。また、『タイム』誌を代表して、全米マガジン賞(英語版)の「マガジン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。同年5月には、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相にインタビューを行い、ネタニヤフ首相を「イスラエルの王」と称した記事を掲載した。2012年11月には、この年にエジプトの大統領になったムハンマド・ムルシーとのインタビューを行った。このインタビューの中で、1968年のSF映画『猿の惑星』にに対するムルシーの発言がメディアの注目を集めた。 2013年9月12日、ステンゲルはタイム社を退社し、公共外交・広報担当の国務次官に就任することを発表した。
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