「江戸のヴィーナス」とは? わかりやすく解説

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「江戸のヴィーナス」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:34 UTC 版)

鳥居清長」の記事における「「江戸のヴィーナス」」の解説

鳥居派役者絵専門とする画派だが、むしろ清長本領一世を風靡した美南見十二候」、「風俗東之錦」、「当世遊里美人合」などの美人画にある。初期初め細身繊細な鈴木春信北尾重政・礒田湖龍斎作風学んでいるが、天明1781年1789年期になると次第諸家影響離れ堅実な素描をもとに八頭身どっしりとした体つき健康的な美人画様式を創り上げた大判二枚続、三枚続の大画面使いこなし現実的な背景美人群像的に配する清長作風美人風俗画称され、後の大判続物発展基礎築いた続物ありながら単体でも、全体繋げて鑑賞して破綻なくまとめられており、清長の高い手腕窺える。また美人画背景に、実際江戸風景を写実的に描いたのは清長最初であるとされる。 その他天明期の画業に、所作事場面背景に必ず長唄常磐津連中などを書き込んだ出語り図」を30点以上残し舞台面そのまま取入れ大判役者絵も描くなど、一段とリアルな作品残した。また肉筆浮世絵も数は多くない悉く優品で、彼の資質力量伝えている。特に「真崎月見図」は代表作として知られている。隅田川の上流の真崎渡し辺り茶店床机腰を掛け満月清光浴び女性たち描いており、月の光良くたとえられるが、その光が水量豊かな川面広がっている背景の爽やかさが印象的な作品である。 天明5年1785年)、師である清満が没すると孫の庄之助が成長するまでの中継ぎとして、二年後の天明7年1787年鳥居家四代目襲名するその後美人画からは遠ざり、鳥居派家業である看板絵番付などの仕事専念し晩年になると黄表紙芝居本、絵本などに力を注いだ享年64墓所墨田区両国回向院法名は長居士墓石地震戦災など度重なる災禍失われ長らく過去帳のみ残っている状態だったが、平成25年2013年4月回向院境内にその画業顕彰するため「清長碑」が建立された。 清長門人として、鳥居清峰鳥居清政鳥居清元 (2代目) がいる。

※この「「江戸のヴィーナス」」の解説は、「鳥居清長」の解説の一部です。
「「江戸のヴィーナス」」を含む「鳥居清長」の記事については、「鳥居清長」の概要を参照ください。

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