「江淹(江郎)才尽く」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 00:09 UTC 版)
江淹のエピソードとして最も有名なものは、彼の文才が晩年に枯渇したという「江淹(江郎)才尽」である。 梁の鍾嶸の『詩品』によると「江淹が宣城郡太守を辞任し、首都建康への帰路の途中、夢に郭璞を名乗る美丈夫が現れた。江淹に長年預けてきた自分の筆を返してほしいと言ったので、江淹は懐にあった五色の筆を彼に返したところ、それ以来詩が作れなくなり、世間の人々は江淹の才が尽きたと言うようになった」とされている。 唐の李延寿の『南史』では「夢に西晋の詩人張協が現れ、預けていた自分の錦を返してほしいと言った。江淹が懐にあった錦を取り出したところ、数尺しか残っていなかった。張協はこんなに使われては用がないと怒り、錦を丘遅に与えてしまうと、それ以後江淹の文才が尽きてしまった」とやや異なる話を伝える。これらのエピソードにもとづき、後世、文人の文才が枯渇することを意味する「江淹(江郎)才尽く」という成語が生まれた。
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