「江源武鑑」の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:35 UTC 版)
一般的に偽書として評価されている江源武鑑、及びそれに準ずる資料においては、高野山追放後の秀信一行について以下のように記述されている。 高野山へは伊達平右衛門・安達中書・竹内三九郎・荒川木工左衛門・山井采女正・高橋一徳斎・森左門・越地太左衛門ら30人余の家臣が付き従った(付き従ったのは小姓14人ともいう)。 関ヶ原の戦いに際し、秀信の母、妻と娘は大坂で人質となっていたが、岐阜落城後六角旧臣である家臣の和田孫太夫によって救出されている。しかし、夜間岐阜まで逃げ延びるのは不可能であったため、和田は秀信の母と自分の娘である秀信の妻を刺殺し、首だけを送り届けた。幼い娘は和田に背負われて逃げ延び、近江で百姓に養われて後六角義郷に嫁ぎ義郷との間に六角氏郷を儲けている。
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