「南走(Run to the South)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:37 UTC 版)
「ユトランド沖海戦」の記事における「「南走(Run to the South)」」の解説
ビーティーは並航戦を指示し南東へ変針した。しかし、風は西風でビーティーの部隊は自分たちの排煙と砲煙に射線を妨げられる不利を負わされていた。 これに対するヒッパーの部隊は夕陽を背にくっきり浮かび上がる英艦艇に正確に命中弾を与え、防御力の劣るイギリス艦隊に損害を与えた。モルトケは2隻のイギリス巡洋戦艦の攻撃の標的となりながらも、僅か数分の間にイギリス巡洋戦艦タイガーに7-8発の命中弾を与え、船体中央部に損害を与え煙突を吹き飛ばした。デアフリンガーは交戦から外れたまま、妨害されることなく自由に砲撃できプリンセス・ロイヤルに多数の命中弾を与え前部砲塔などに損害を与えた。 互いの巡洋戦艦部隊から報告を受けたジェリコーとシェアはそれぞれ戦場へ急行。ジェリコーは本隊に所属する第3巡洋戦艦戦隊(司令:ホレース・フッド(英語版)少将)を分派して先行させた。 16時、ビーティーの旗艦ライオンにリュッツオウの12インチ砲の斉射弾が命中し、Q砲塔を大破させ、数十人の乗員が即死した。致命傷を負った砲塔指揮官フランシス・ハーヴェイ海兵隊少佐は、弾薬庫の扉を閉め弾薬庫に注水するよう命じて弾火薬庫の誘爆を防いだ。 16時05分、フォン・デア・タンの11インチ砲による概ね最大射程からの斉射弾がインディファティガブルの主砲塔天蓋を貫徹して弾火薬庫を誘爆させ、インディファティガブルは轟沈した。インディファティガブルの乗組員1,019名は、救助された2名を除く全員が戦死した。(地図の3) ヒッパーの部隊も無傷ではなかった。クイーン・メリーの射撃によりザイドリッツも砲塔を撃ち抜かれた。しかしドッガー・バンク海戦以降の防御力向上の効果で大損害とはならなかった。 運はヒッパーに傾いていたが、そう長く続かなかった。16時06分、15インチ砲を装備し高速のクイーン・エリザベス級戦艦4隻から成る第5戦艦戦隊が追いつき、距離17,500mから砲撃を開始して参戦した。ヒッパーの巡洋戦艦部隊は劣勢に転じたが、シェア率いる大洋艦隊本隊がすぐ近くまで接近しつつあることを知ったヒッパーは敵をより引き込むため東へ変針した。 巡洋戦艦同士の戦闘は激しさを増した。16時25分、クイーン・メリーは、デアフリンガーの砲撃によって主砲塔天蓋を貫徹され、弾火薬庫が誘爆して轟沈した。クイーン・メリーの乗組員1,275名のうち、生き残ったのはわずか9名だけだった。戦死者の中には観戦武官としてクイーン・メリーに乗艦していた日本海軍の下村忠助中佐も含まれている。 インディファティガブルとクイーン・メリーの轟沈を見たビーティーは「我々の呪われたフネは、今日は何かがおかしいようだ」(There seems to be something wrong with our bloody ships today.)と旗艦ライオンのアーヌル・チャットフィールド(英語版)艦長に語った。ドイツ巡洋戦艦隊と砲撃戦を行った場合に劣勢となる危険性を認識不足だったためとされる。
※この「「南走(Run to the South)」」の解説は、「ユトランド沖海戦」の解説の一部です。
「「南走(Run to the South)」」を含む「ユトランド沖海戦」の記事については、「ユトランド沖海戦」の概要を参照ください。
- 「南走」のページへのリンク