下村忠助
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下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日[1] - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。
- ^ 『大正三、四年戦役海軍戦死者忠魂録』では1月8日生まれとなっているが、兵学校卒業時の年齢が21歳3月であることから、10月生まれが正当と判断した。
- ^ 『大正三、四年戦役海軍戦死者忠魂録』pp5-6
- ^ 『米沢興穣館人国記』「今村信次郎」
- ^ 『官報』第1155号、大正5年6月8日。
- ^ 『官報』第6212号「叙任及辞令」1904年3月19日。
- ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
- ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
- ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
- ^ a b c 『官報』第1155号「叙任及辞令」1916年6月8日。
- ^ 『官報』第144号「叙任及辞令」1913年1月24日。
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