障害競走
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日本の障害競走
歴史
創設〜戦前
日本では居留地競馬の時代に障害競走が行われていた。中でも1860年9月1日に横浜外国人居留地にて開催されたレースの中に障害競走が含まれていたことが、アメリカ人商人であるフランシス・ホールの手記に記されており、これが日本の障害競走に関する最古の記録である[2]。また、祭典競馬としても行われており、1887年5月6日に靖国神社で施行されたという記録がある。距離は500間(909m)の馬場を1周というものだった。
公認競馬の開始後は、1908年に北海道競馬会が新設した子取川競馬場(現:札幌競馬場)において障害競走を創始した[3]。同年春季に行われた最初の競走は距離1マイルで争われ、友成玉之助所有のキンツルが122秒で優勝した。これは平地競走の走路に小規模な置障害を設置して行われるものであり、競走距離は1マイル、1マイル1/8の2種類、つまり1600m - 1800mで行われ、800m - 1800mで行われた当時の平地競走とほぼ同条件であった。その後1915年の目黒競馬場において日本で初めて障害競走専用の走路が設置された[3]。なお専用走路の設置にあたっては、馬政局から東京競馬倶楽部に対して補助金が与えられた[3]。
1923年に競馬法が実施された後に、それまで障害競走を実施していなかった競馬倶楽部でも次第に障害競走を行うようになった。当時は施行数が少なく競走距離は2000m前後で行われ、また障害飛越数が3回以下の競走もあるという低レベルな状況であったため、陸軍は良質な軍馬生産のため競走数の増加、競走距離の延長、また高さ120cmの固定障害や置障害を使用するなどの障害競走の高度化を指示した。
1924年に東京競馬場で障害の高さ、幅を変更した際に、騎手の拒否により春季開催での障害競走がすべて不成立になるといった混乱も見られたが、競走数は大幅に増加を辿り、同年には全国で平地競走552回に対し僅か34回であったものが、6年後の1930年には平地競走1049に対して276の競走が施行された。そして1934年には中山に坂路と大規模な障害を備えた馬場が完成し、現在まで続く中山大障害の創設がなされた。
主要競走(1940年、呼馬)
開催場 | 競走名 | 距離 | 1着賞金 |
---|---|---|---|
中山 | 中山農林省賞典障碍(春) | 芝4100m | 10000円 |
京都 | 古呼馬障碍特別(春) | 芝4030m | 6000円 |
東京 | 芝4050m | ||
京都 | 古呼馬障碍特別(秋) | 芝4030m | |
東京 | 芝4050m | ||
小倉 | 小倉農林省賞典障碍 | 芝4040m | 7000円 |
中山 | 中山農林省賞典障碍(秋) | 芝4100m | 10000円 |
※「障碍」は1945年の当用漢字告示まで使用されていた表記である。当用漢字に「碍」が採用されず、1956年には国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」で「障害」への書き換えが指示された。中央競馬の競走では1970年より「碍」が「害」に、「盃」が「杯」(大阪杯など)に切り替わった。
施行状況
年度 | 競走数 | 2300mまで | 2400m - 2980m | 3000mから | 平地競走数 |
---|---|---|---|---|---|
1926年 | 28 | 28% | 57% | 15% | 697 |
1929年 | 146 | 37% | 51% | 12% | 1000 |
1932年 | 357 | 41% | 54% | 5% | 1125 |
1935年 | 403 | 4% | 87% | 9% | 1075 |
1937年 | 478 | 0% | 89% | 11% | 1000 |
1939年 | 536 | 69% | 31% | 953 | |
1941年 | 598 | 64% | 36% | 954 |
戦後
中央競馬は1946年秋から再開したが、戦中に接収された影響で東京競馬場は本馬場も含めて全て畑、京都競馬場も固定障害が全て撤去されているなど、障害馬場の復旧には時間を要した。この年はすべて4歳馬の競走となり障害競走は行われていない。1947年春より中山競馬場で数レース行われ、秋には京都競馬場、1948年春には東京競馬場の障害馬場が完成し、その後全ての開催場で障害競走が復活した。なお、函館、札幌競馬場では1950年代半ば以降障害競走は再び休止されている。
戦後は勝利に恵まれない平地競走馬を移行させるという目的で行われていたが、戦後の混乱による馬資源の不足もあり、量の不足と質の低下を招いた。1940年前後は5歳、6歳となった競走馬はアラブ系では大半、サラ系でもその多くが障害入りしたが、戦後は賞金水準の高い南関東を筆頭に多くの古馬が地方競馬に流出し、障害入りする馬が著しく減少した。京都大障害をはじめとする障害重賞の創設や出走条件の緩和などの振興策によって改善されたものの、平地競走の出走数の急激な増加の前に水をあけられ、慢性的な頭数不足は近年になるまで完全には解消されなかった。
アラブ系障害競走も復活したが、中央競馬のアラブ系競走馬は、昭和20年代半ばより抽選馬のみ出走可能と改められた事もあって在厩頭数自体が少なく、障害競走に出走する馬はさらに少なかった。また、アラブ系障害には戦後しばらくの間は重賞競走が存在しなかったが[注釈 2]、1956年にアラブ系障害競走の振興のため阪神競馬場でアラブ大障害が創設された。同年はサラブレッド系障害169競走に対して、アラブ系は153競走が行われ、最も施行された1958年には175競走となり、176競走行われたサラ系とほぼ同数の競走が施行された。同じ競馬場で1日に3競走(アラブ・サラ系)の障害競走が行われる事もあったが、通常は1日2競走程度の実施となっていた。
アラブ系障害競走には、1960年に中山アラブ障害特別及び東京アラブ障害特別が創設されたが、前述の理由により、出走頭数がサラ系障害競走と比べて揃わず、メンバーも固定化されていった事から、ファンの興味も低下していった。1965年にはアラブ系障害競走はわずか66競走が施行されるにとどまり、同年をもってアラブ大障害、中山アラブ障害特別、東京アラブ障害特別はいずれも廃止。翌1966年は8競走を施行し、これを最後にアラブ系障害競走は全廃された。
障害競走の施行距離、障害の難易度は、戦後に短縮、易化された。1950年代以前は中山大障害などの一部の重賞競走を除いて距離、障害数共に少なく、1956年時点では障害競走の平均施行距離は2400mだった[注釈 3]。その後も芝コースの幅員増やダートコース新設の影響で障害コースが狭まり、スピード化に対する安全策から障害も小型化された。また騎手の負担重量の見直しも行われた[注釈 4]。
1960年代後半になると、サラ系障害競走についても強い馬が出なくなり、人気が低下していった。競走馬生産頭数の増加に伴い平地競走の増加を求める声が上がり、関西では、不人気の繋駕速歩競走が廃止されると共に、障害競走についても競走数の削減が行われ始めた。平地競走の充実化が進むのに引き換え、障害競走に対しては賞金面での優遇にもかかわらず、出走頭数の増加が止まっていた。競走数の削減に合わせて障害専門の騎手も減り、障害競走に騎乗する騎手も大半が見習い騎手となり、技術の未熟化も進んだ。
1970年代に入ると障害を大きく、負担重量を増やしてスピードを抑える安全策に転換されたことから、一般競走の距離延長、東京の襷コースの大障害コースとするなどの障害の高度化が行われた。競走距離については1978年には平均距離が3000mを越えた。
しかし、以後も障害競走の競走数は減少の一途を辿り、サラ系障害競走は1966年にアラ系障害競走の廃止に伴い最多の250競走施行されたが、1980年には175競走、そして1997年には129競走まで落ち込んだ。重賞競走については、1984年に平地競走はグレード制導入に伴い全国発売競走となったが、障害競走については見送られ、平地競走との差が生じることになった。
そこで1999年より日本中央競馬会は以下のような番組改革を行った。
- 障害競走のグレード制導入
- 新潟障害ステークス及び小倉障害ステークスの重賞格上げ(新潟ジャンプステークス・小倉サマージャンプ)
- イルミネーションジャンプステークスなどの特別競走の増加
- 400万以下の廃止(日本の競馬の競走体系#中央競馬も参照)
- 重賞、特別競走に「ジャンプ」の名称を使用(中山大障害を除く)
他にも障害専用ファンファーレ(三枝成彰作曲)の導入や特別イベントとしてレース終了後に騎手が実際にコースを案内するミニツアーも行い、2000年より中山グランドジャンプが障害競走としては世界初となる国際招待競走となった(中山大障害も2011年から国際競走となっている)。
この改革により、障害にも飛越の安全性向上のため、踏切板を設置し、障害の側面に馬が足をぶつけても怪我をしないようにラバー加工が施された。
その後2000年の中山大障害では創設以来初となる16頭フルゲートで行われるなど競走頭数が大幅に増加し、改革後は大半の競走がフルゲートで施行されている。しかしながら、後述するように障害に騎乗可能な騎手が不足気味であり、騎手の確保問題に起因する出走取消も発生している。この問題に鑑み、2014年からは第三場(2020年までの冬季小倉競馬および夏季北海道開催は除く)での開催が基本とされることになった。
なお、地方競馬の障害競走については、各地で置き障害や襷コースを使用した障害競走が施行されていたが、1974年に廃止された春木競馬場を最後に現在は行われていない(競馬法施行令第17条の4により施行することはできる)。船橋競馬場や、旧名古屋競馬場など一部の地方競馬場には、障害コースの名残が見られる。
施行状況
2020年現在、年間125競走施行される[4][5][6]。
馬のクラスは未勝利とオープンの2つのみである(かつては、未勝利、400万円以下条件、オープンと3つのクラスがあり、さらに以前には、条件戦のクラスがさらに数クラスに分類されていた)。他国で見られるハードル・ノービスの競走は行われない。賞金は競走格に応じて完全に固定されている。
競走はかつては東西主場で1日について1レースづつ(東西主場で競走が行われてる場合は第三場では競走を行わなかった)で、普通競走の場合は昼休み前に割り当てられていた(第4レースないしは第5レース)が、2014年以降、障害競走が第三場中心で行われるようになり、障害競走が2レースの場合でも同一場で障害競走が組まれるようになったため、主に土曜日の開催日で1日に障害競走が2レース行われる場合がある。
- 1980年代の終わりまでは、稀に1日2レースの障害競走が行われる日があり、その時は、平地競走を1レース挟んだ形で、第3競走と第5競走または第4競走と第6競走というように行われていた。
- 2014年以降、1日に2レースの障害競走が行われる場合は、昼休みを挟んで第4競走と第5競走の連続で行われるパターン(1月 - 4月、11月 - 12月の期間)もしくは、第1競走に行った後に平地競走を2レース挟んで昼休み前に第4競走で組まれるパターン(5月 - 10月[注釈 5])のどちらかで行われている。
- 2019年以降、暑熱対策で、夏季競馬の全期間と、秋季競馬のうち4回阪神・4回中山の期間中は、原則として、1日2鞍施行時と、重賞・特別等を除き、障害競走は原則として、第1競走に設定される。
- 特別競走や重賞競走の場合は大半が第8競走に割り当てられている。ただしJ・G1として施行される中山グランドジャンプは第11競走、中山大障害は第10競走に組まれているほか、2023年の夏季競馬での暑熱対策など「人馬の負担を軽減する」目的から新潟ジャンプステークス、小倉サマージャンプについては、重賞競走ではあるが第4競走に編成された[注釈 6]。さらに2024年は第2回新潟競馬の開催が暑熱対策のために昼間時間帯の開催休止が実施される事となり、当該開催日程に組まれている新潟ジャンプステークスはメイン競走終了後の16時50分発走となり、第9競走に編成された(小倉サマージャンプは前年同様に第4競走で実施[注釈 7])[10]。
東京競馬場、中山競馬場、京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場、小倉競馬場、新潟競馬場、福島競馬場の8つの競馬場で障害競走が施行されている。このうち、東京・中山・京都・阪神・小倉の5つの競馬場は芝コース及びダートコースの内側に固定障害の用意された専用コースがあり、これを使用して競走を行う。また、福島競馬場では次に述べる襷コースのみに固定障害が存在し、それ以外は芝コースに置障害を設置して競走を行う。また、中京・新潟では障害専用のコースがなく、全て芝コースで行われる[注釈 8]。全ての競馬場において障害コースには決勝線がないため芝コースまたはダートコースのものを使用する。函館競馬場や札幌競馬場では障害競走は行われない[注釈 9]。
中山・阪神・小倉・福島の4つの競馬場には、周回コースのほかに、芝コースからダートコースを横断するかたちで設けられた走路もあり、「襷コース」とよばれる。襷コースを通ると周回の向きが逆になるため、スタート時の向きがゴール時の向きと逆になっている場合があるほか、両向きで飛越される障害についてはそれに対応した形をしている。競馬場#襷も参照。
2013年までは中京・小倉・新潟・福島の裏開催(第三場としての開催時)にも行われなかったが、前述の通り2014年からは第三場としての開催が主となる。但し関東馬の輸送面を考慮し第三場開催中でも2020年までは冬の小倉開催時については障害競走は行われず、東西主場で障害競走が組まれていた。2021年から冬の小倉開催時も障害競走が行われる。
レースの発走にはスターティングゲートを使用し、出走可能頭数は中山グランドジャンプ、中山大障害が16頭、小倉競馬場の2860mの競走では12頭、その他はいずれも14頭となっている。
未勝利競走は全て3000m以下で行われ、内柵の移動によるものを除き同一の競馬場で複数の距離設定はない。特別競走ではないオープン競走は、同一の競馬場の未勝利と同距離かそれより長く、これに対する特別、重賞競走もまた同様である。オープン競走は一部の平場のオープン競走を除けば大半のレースは3000m以上となっている。
斤量は60kg前後であることが多く、最低負担重量は3歳で56kg、4歳以上は57kgである。これは70kg前後で行われる他国の競走と比べ軽量となっている[注釈 10]。
障害の種類
生垣
障害コースの中では最も設置数が多い障害である。障害は土台とその上部の生垣で構成され、生垣については掻き分けて飛越することが可能である。飛越側には競走馬がスムーズな飛越を行うためにその目安となる踏切板が置かれ、また土台に傾斜を設けている。両面飛越が可能な障害ではこれらが両側に設置されている。障害の高さは土台と生垣を合わせて1.4mでほぼ統一されているが、幅(進路方向の厚み)は1.6mから2.4mまで様々である。なお、東京、中山、京都競馬場で障害重賞のみに使用する生垣は大生垣と呼ばれ、高さ1.5mから1.6m、幅は2.0mから2.9mと通常より規模の大きい障害となっている。中山競馬場の大生垣は特に有名で、レンガをモチーフにした土台が使われており(以前は東京競馬場でも使われていた)、『赤レンガ』の愛称で知られる。現在生垣障害として使われているのはマサキ(柾)である。
なお以前は、地面から生垣が直接生えている障害のみ生垣障害と呼び、土の土台の上部に生垣が植えられた障害は、土塁障害と呼ばれていた。阪神や小倉のように途中から進行方向が変わるコースの場合、片面からのみ飛越するものは片面土塁(阪神の1.3号障害など)。両面から飛越するものは両面土塁(阪神の4・7号障害など)という呼び方もされた。しかし1999年の番組改革により、土塁型、生垣型ともに生垣障害という呼び名に統一。片面、両面という呼び方も廃止される。
竹柵
生垣と共に設置数の多い障害である。障害は土台とその上部のブラシ状に逆立てた竹柵で構成され、生垣と比較して掻き分けにくく、飛越の高さが求められる。土台には飛越側に傾斜を設けられ、また竹柵は着地側になびかせている。障害の高さは1.2mから1.4m、幅は1.45mから1.8mであり、中山・阪神・小倉の各競馬場にはクラスによって障害の高さを調節できるものが設置されている。また、東京・中山競馬場で障害重賞のみに使用する竹柵は大竹柵と呼ばれ、高さはそれぞれ1.5m、1.6m、幅は1.65m、2.05mとなっている。
水濠
周回の障害コースをもつ競馬場ではそれぞれ1つ設置されている。障害は飛越側の生垣とその後方の水濠で構成され、飛越の高さより幅を求められる障害である。飛越が足りず、水濠に後肢を踏み入れるとバランスを崩すことになり、大きなロスにつながる。障害の生垣部分の高さは1.2m以下、幅は生垣と水濠を合わせて3.7mから4mとなっている。番組改編以前は、生垣の大きさが80cm以下と小さく、東京競馬場の場合は高さ50cmの小さな柵が使われていた。現在のような形の水濠障害は京都競馬場の旧大障害コースに存在した大水濠以外には見られなかった。なお、水濠障害に入れられる水は、出走馬の本馬場入場から競走終了の間のみ入れられる。またかつては、京都競馬場と小倉競馬場に水のない「空堀障害」も存在した。
グリーンウォール
緑色の人工素材で作られた障害である。東京、阪神、福島競馬場にそれぞれ1つ設置されている。形状、大きさは竹柵とほぼ同じだが、より掻き分けにくくなっている。
バンケット
京都競馬場で障害重賞のみ使用される。飛び上がり飛び降り台とも呼ばれ、一時期はビッグスワンと言う愛称が付けられていた。飛越して障害の上部に乗り、その後一定距離走った後に飛び降りる必要がある。高さは0.8m、幅は15.9mである。昭和20年代までは、東京競馬場と小倉競馬場にも同様の障害があった。
置障害
平地競走の芝コースに設置される竹柵障害であり、分解または牽引車によって移動可能となっている。片面飛越のものは竹柵とほぼ同じだが、両面飛越できるものは竹柵が垂直に伸びている。
坂路
急勾配の坂であり、登って降りる山型と、降りてから登る谷型がある。前者は福島、小倉競馬場、後者は中山競馬場に設置されており、中山競馬場は、元からの自然の地形を利用した、三つの谷型坂路が設置されており、他の競馬場はそれぞれ一つとなっている。山型は高低差が3m弱で長さが約80m。谷型は中山競馬場は1号坂路は高低差3.57m、長さ78m、3号坂路は高低差4.74m、長さ92mの他、障害GIのみに使用する2号坂路は高低差が5.3m、長さが113mとなっている。なお、飛越を伴わないこうした山型、谷型坂路のことも便宜上「バンケット」と呼ばれることがある。
なお、東京競馬場が開設された直後は、3・4コーナーの中間に山型の坂路が存在したが、短期間で通常の障害に変更された。
重賞一覧(2024年)
施行日 | 競走名 | 競走格 | 距離 |
---|---|---|---|
3月9日 | 阪神スプリングジャンプ | J・GII | 芝3900m |
4月13日 | 中山グランドジャンプ | J・GI | 芝4250m |
5月11日 | 京都ハイジャンプ | J・GII | 芝3930m |
6月22日 | 東京ジャンプステークス | J・GIII | 芝3110m |
7月27日 | 新潟ジャンプステークス | 芝3250m | |
8月24日 | 小倉サマージャンプ | 芝3300m | |
9月14日 | 阪神ジャンプステークス | 芝3330m | |
10月13日 | 東京ハイジャンプ | J・GII | 芝3110m |
11月9日 | 京都ジャンプステークス | J・GIII | 芝3170m |
12月21日 | 中山大障害 | J・GI | 芝4100m |
負担重量はJ・GIレースは定量戦、J・GIIとJ・GIIIレースは別定重量戦になっている。京都ジャンプステークス、小倉サマージャンプ、新潟ジャンプステークス、東京ジャンプステークス(2008年当時は東京オータムジャンプ)については2008年まではハンデキャップ競走として施行されていたが、有力馬の出走機会を拡大する観点から別定重量戦へとなった。
戦後に施行されていた重賞競走
サラブレッド系
いずれも年間に春と秋の2回施行されていた。
- 京都大障害…京都ハイジャンプ(J・GII)と京都ジャンプステークス(J・GIII)へ移行。
- 東京障害特別…東京ハイジャンプ(J・GII)と東京オータムジャンプ(現・東京ジャンプステークス)(J・GIII)へ移行。
- 阪神障害ステークス…阪神スプリングジャンプ(J・GII)と阪神ジャンプステークス(J・GIII)へ移行。
アラブ系
- ^ イギリスにおいては、一部の競馬場でオールウェザーでハードル競走が行われていたが、安全性を理由に現在ではNHF以外は施行されていない。また、スイスのサンモリッツでは2月に氷結したサンモリッツ湖の上(サンモリッツ競馬場)で平地、速歩競走と共に障害競走も行われていたが、現在は廃止されている。
- ^ 平地における福島記念、函館記念などと同様にアラブ系障害の3重賞も現在は重賞としてカウントしていないほぼ同等の競走が障害競走再開後すぐに始まっている。
- ^ 最も短かったのは中京競馬場の2000mで、小倉競馬場を除き、2200mに満たない距離設定があった。
- ^ 見習騎手が51kgや52kgで騎乗する事もあった。
- ^ 例外として前日から施行競馬場の大幅な移動(例:京都→新潟など)を伴う場合は、この期間であっても第1競走に設定されず第4・5競走に設定され、騎乗予定騎手の移動の負担を軽減するための編成が取られるようになっている(例:前日に第8競走で実施される京都ハイジャンプの翌日に、新潟で未勝利戦2競走が組まれているが第4・5競走の設定となっている)。
- ^ 2022年までは両レースとも第8競走(14時頃発走)に編成されていたが、2022年の新潟ジャンプステークス(7月30日)ではレース後に顕著な熱中症を発症する馬が続出し、中でもテイエムコンドルが遅れて13着でゴール入線後に倒れ、その後死亡している[7]。
また、同年の小倉サマージャンプ(8月28日)の翌日に新潟の第1競走に障害競走が設定されており、一部の騎乗予定騎手が小倉から新潟に移動するために便数の少ない新潟行きの飛行機に乗り遅れてしまい(同レースを制した石神深一の障害全場重賞制覇の記念セレモニーなども重なった)、羽田を経由して新幹線で新潟入りしたことで前日の調整ルーム入りが遅れ、対象となった石神、草野太郎、小牧加矢太、森一馬、伴啓太の5名が調整ルーム入室注意義務違反となり、過怠金30,000円の制裁を受けている[8]。これらの事例が発生した事により人馬の負担軽減を図ったものとされている[9]。 - ^ ただし、阪神競馬場改修工事に伴う施行場変更のため、中京競馬場で実施される。
- ^ かつては、襷コースがあったが、新潟は2000年の、中京は2010 - 2011年のコース改修工事に伴い廃止された。
- ^ 戦前から戦後しばらくの間は行われており、函館競馬場には専用コースも存在した。
- ^ 1998年以前は55kg以下でも出走できた。さらに昭和40年代初めまでは、障害競走ながら見習騎手限定競走が存在した。
- ^ NHフラットのG3は存在しない。
- ^ 例として寺井千万基、大森勇一などがいる。
- ^ 2024年3月5日時点で障害免許のみ保有の騎手は金子光希、小牧加矢太、鈴木慶太、西谷誠、坂口智康の5名で、初取得時から障害限定免許の小牧加矢太、坂口智康以外は平地免許を後に返上している。
- ^ 若手騎手以外でも騎乗数確保のため、障害戦に騎乗を開始した例として、1990年に菊花賞を制した内田浩一が、デビュー19年目となる2006年より障害競走に騎乗を開始した例などがある。
- ^ 2004年以降、デビュー年に障害戦にも騎乗した例は、障害限定免許の小牧加矢太と坂口智康を除いて実例がない(障害免許を取得していても、殆どの騎手は最低でも1年は平地に専念している)。
- ^ 2年目から障害競走にしている水沼元輝、鷲頭虎太など。他にもキャリア10年を超えている井上敏樹も2023年2月から障害競走に騎乗しているが、小牧加矢太の活躍に触発されて翌2024年3月より美浦から栗東に移籍するなど、影響を受けた者も多い[13]。
- ^ 2014年から数年は設備のない北海道と春季(主に1・2月)の小倉以外の第三場で多くの障害競走が組まれた。さらに2021年からは春季の小倉でも障害競走が組まれるようになり、前年まで京都で実施されていた牛若丸ジャンプステークス、中山(2018年まで東京)で実施されていた春麗ジャンプステークスも小倉で実施されるようになった。
- ^ 競馬ブック(栗東)のトラックマン・山田理子によれば「落馬負傷などで騎手足りなくなるのを防ぐため(原文ママ)」とのことである。山田理子ツイート - Twitter 2017年8月31日
- ^ a b c 『イギリス文化と近代競馬』彩流社、2013年10月25日、45-47頁。
- ^ 澤護「横浜居留地のフランス社会(1) : 幕末・明治初年を中心として」『敬愛大学研究論集』第44号、1993年9月、131-170頁、NAID 120006016094、2021年6月1日閲覧。
- ^ a b c 『日本競馬史 第四巻』 p.1002
- ^ “令和2年度春季競馬番組の概要について” (PDF). 日本中央競馬会. p. 3 (2019年11月24日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ “令和2年度夏季競馬番組の概要について” (PDF). 日本中央競馬会. p. 4 (2020年4月19日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ “令和2年度秋季競馬番組の概要について” (PDF). 日本中央競馬会. p. 4 (2020年8月2日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ 【勝羽の土曜競馬コラム・栁都S】 - 日刊ゲンダイ競馬 2022年8月5日
- ^ 【障害競走】夏の新潟を締めくくる1Rと4R!今週から復帰する五十嵐騎手の手綱さばきも注目 - 極ウマ・プレミアム(日刊スポーツ)2022年9月3日
- ^ 夏の障害2重賞が第8競走から第4競走に変更 人馬への負担を軽減するため - 東スポ競馬 2023年4月0日
- ^ 2024年第2回新潟競馬番組 - 日本中央競馬会 (PDF)
- ^ 2024年重賞レース一覧日本中央競馬会 2024年1月2日閲覧
- ^ ブックメーカーの人気上位20レースのほとんどが障害競走 ジャパンスタッドブックインターナショナル 海外競馬ニュース 2015年02月26日 2018年10月29日閲覧
- ^ 29歳、井上敏樹騎手が覚悟の栗東移籍 「丸刈りにして気合入れました!」 - スポーツ報知 2024年4月16日
- ^ 2年目の水沼元輝が〝二刀流〟デビューへ 4月から障害レース騎乗を決断「挑戦をマイナスには考えていません」 - 東スポ競馬 2023年3月22日
- ^ “騎手不足で2頭出走取消の珍事発生”. デイリースポーツ. (2013年1月20日) 2013年2月11日閲覧。
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